忍耐

大変だった。とにかく大変だった。バカみたいに貧相な表現だけど、もうそれしか言いようがない。こんな恰好をして、日中に3時間半も表を歩き回っていたのだから、楽なはずもなかった。



この甲冑、金属製でかなり重たい。兜も含めたら、5〜10kgはあったんじゃなかろうか。兜は首に負担をかける上、固定するための紐が顎に強く食い込んで非常に窮屈で、何より喉元を圧迫するので飲み物を飲もうとすると突っかかって苦しかった。鎧は重みで肩にすごく食い込む上、動きづらく、座るときにも一苦労だった。こんな恰好で本当に戦をしていたのだろうか、絶対無理だろ、自分なんて歩くだけでもへとへとになりそうなのに、と出陣前から半ば呆然としてさえいたのだった。


15時15分ごろ、着付け会場の中学校を隊列を組んで出発し、大通りへ向かって歩き出した。一応勝ちどき(えいえいおー、という掛け声)をあげる練習だけは隊ごとに行ったものの、そのほかには事前のリハーサル等は一切なかった。歩き出すと、履いていたわらじの歩きづらさに気づかされた。わらがたまに足の裏に刺さってちくちくするし、つま先がわらじからはみ出ているので、つま先を擦らないように歩かなくてはならず、ちょっと不便だった。


で、大通りに出ると、片側二車線の広い道路の両側の歩道が、大勢の見物客で埋め尽くされていた。トータルで数万人は来ていたに違いない。通行止めになった道路の真ん中を、がしゃがしゃと音を立てて歩いていると、見物客たちの視線と、カメラのレンズが自分たちに向けられているのが分かった。自分は隊の先頭列で、武将の格好をしていたので、写真写りは抜群だったことだろう。こんなに多くの人から見られているなんて・・・と思って緊張したかというと、全然そんなことはなく平常心で、逆にこちらも見物客を「うわー多いなー」と驚きつつ見物していたのだった。同じ隊の人はうちの大学の学生が中心だったので、行軍しつつ、興奮してわいわい騒ぎ気味に私語をしていたから、最初は後ろにいる彼らを気にしつつ「いいのかよ?そんなんで」と不安視していた。だが演じるほうも、見るほうも、そんなに真面目で本格的な歴史の再現を期待しているわけではなく、あくまでイベントとして大勢の武者の迫力を楽しんでいるのだと間もなく気づき、そんなに気にしなくなった。男女関係なく参加していた(特に自分の隊は3、4割は女性だったと思う)のも特徴的で、なかなか面白いと感じた。装束の縛りも緩かったので、ウエストポーチをつけたり、ボトル飲料を腰にぶら下げたりしている人は結構いた。タオルやカメラ、携帯はかなりの人が身に着けていた。だが自分は戦国らしくないものが見えてしまってはよくないと思い、デジカメや腕時計はおろか、汗ふき用のタオルさえも持たずに行軍した。だから着付け会場を出て、最後に戻ってくるまで、1枚も写真を撮っていない。途中の記録は歩数くらいしかつけていない。真面目に考えすぎて損したな、とその点は少し残念に思っている。


タオル、汗をふけるものがなかったのは、厳しいものがあった。とめどなく流れ落ちる汗をどうにもできなかったからだ。ただでさえ気温が高いのに、暑苦しい重装備をしていたので、体育館で待機している段階から、すでに汗だくになっていた。それが屋外に出て、ふけるものがないので流れるままにしていたら、もう顔全体があせでびしょびしょになってしまった。ここまで来るともう体全体が濡れているようなものなので、不快ではあるものの、そんなに暑さを意識しなくなってきた。でも気にしなくなっただけで、体力は着実に右肩下がりのグラフを描いていた。その後、時間が進むにつれ、日が傾き、気温が下がってきたので、徐々に暑さは和らいでいった。その代わり終盤になると、鎧の肩への食い込みが我慢ならなくなってきたのだった。


ところどころで勝ちどきを上げつつ、スタッフの指示に従って行軍した。勝ちどきは刀を抜いて「えいえいおー」を三唱するというもの。刀は武将クラスしか持っていない(足軽クラスは槍)ので、いくらプラスチックか木で出来た刀だとはいえちょっとした優越感があり、自分の士気を高めるのに貢献した。行軍中は、腰の刀がぷらぷらしないよう左手で刀の鞘を握りながら歩いた。見物客と目が合うのは嫌だったので、自分はひたすら前ばかり見ていた。「無口で愛想のない武将」という設定だった。まあ実際のところは、学生のように笑顔をふりまいて見物客に手を振ったりするほど、サービス精神はなかったし、気力に余裕もなかったのである。


行軍中、おそらく16時30分ごろだろう、このイベントの最大の「アトラクション」である上杉謙信に扮したGACKTが、白馬に乗って現れた。片膝をついて通りの両側を固めていた自分たちの前を、白馬に乗ったGACKTが颯爽と駆け抜けていった。ひときわ大きな歓声、つまり黄色い声が、わあっと上がった。前後には彼の楽曲が流され、事前に録音されていたと思われるセリフが響き渡った。もはや上杉謙信というか、「GACKT謙信」という完全なオリジナルキャラとなっていたが、老若男女を問わず、沿道の人は彼の登場に歓喜の声を上げてはしゃいでいたので、これはこれでいいのだと納得し、同時に彼を謙信として受け入れる上越の人たちの懐の広さ、柔軟性に少なからず感心したのだった。自分はこの時を含めて、計3回ほどGACKTを近くで見ることになったが、消耗していたせいかあまり驚きや感動もなく、ただ「おー本物だー」と実物がポスターや映像で見たのと遜色ないことに妙に感心していたのだった。たぶん、沿道から写真を撮れる立場だったら、恰好の被写体を前に必死になって写真を撮っていただろうな。


GACKTの登場後は、もう何だか出陣行列は終わったような気分になって、やっと甲冑が脱げるかなーと期待感を持っていたのだが、実際にはその後も約2時間拘束され続け、士気は低下の一途を辿った。休憩中、記念撮影を求められ、一緒に笑顔で写ってあげたりもしたが、心では笑ってはいなかった。いつ終わるんだ、早く帰らしてくれ、とずっと心の中で叫んでいた。やっと「帰りたい人はここで帰っていい」と言われ、着付け会場の某中学校に戻ってきたのは、18時43分のことだった。


わらじを急いでほどき脱いで体育館に駆け込み、自分の荷物の場所に戻ると、全速力で甲冑を外した。まず兜、次に刀、それから鎧、最後に小手とすね当てと袴。全部外して、上半身裸のハーフパンツ姿になったとき、自分はそのあまりの解放感に感激した。体が軽くて軽くて、まるで自分の体がなくなってしまったのではないかと思ったほどだった。この時が、今日の中で一番テンションが高かった、精神的なピークだった。


このイベントには、同期と先輩と自分の3人で一緒に参加していた。出陣前の待機時間中や、行軍中の休憩時間中には、会って話をしていた。始まる前からずっと、「こりゃ大変だ」というのが共通認識だった。そのため、終わった後は一様に安堵感に包まれ、一緒に夕食を食べに行こうという流れになった。そしてファミレスで、食事をしながら1時間半くらいだべった。主に先輩が文科省に行っていたときの、大学とは比べ物にならない激務と、まるで別次元の労働生活環境についての話を聞かされ、同期と二人で「ありえない。自分たちには絶対無理」という感想を何度も口にしていたのだった。例として、「宿舎から電車で片道1時間半通勤。吊革につかまりながら寝る」、「1日2時間、一週間で10時間しか寝れない」、「夜中の2時に退庁して、朝7時に出勤」、「時間がないので食事はほとんどマック」、「半年で異動。省内のあいさつ回りだけで5時間かかる」、「40度の熱があっても出勤を求められる」、「大臣交代の記者会見が夜1時に始まり、終わったのが朝の4時。その間ずっと会見場に立会」、「宿舎の部屋は鍵が付いていない。風呂はなく、シャワーがあったがカビだらけ。隣の部屋の人は1週間で出て行った」といった類の話がごまんとあった。ワークライフバランスなんてあったもんじゃない、とんでもないところだと分かり、何があっても文科なんて全体行くもんか!と強く思った。バイタリティがないから、いくら給料が跳ね上がるとか、一般人が入れない色んなところに行ける(東大病院の地下とか)とかいうのは、全然惹かれる要素にはなりえない。そういう話のほかには、今回の出陣の感想とか、職場の話なんかをしていた。21時前にファミレスを出たところで解散になり、自分は電車で家の最寄り駅まで行って、そこで迎えに来ていた家族の車に乗り込み、帰宅した。解放感はとうに消えうせ、もはやただくたくたに疲れきっていただけだった。風呂に入って、体と頭を洗い、全身をすすぐと、すごくさっぱりして、いよいよあとは寝るだけだな、一刻も早く寝ようと思ったが、二度と参加することはないであろう今回の体験をせっかくだから書き残しておこうと思ってPCを起動し、ブログの記事を書き始めて、今に至っている。正直言って、行軍中は結構体力的に必死だったので、頭のレコーダーはあまり回っておらず、よく覚えていないことのほうが多い。それゆえ、今回の記述も何だかとりとめのないものになってしまったし、写真もいかんせん撮っていないため全然載せられていないが、これでも一応頑張って書いただけ、現在無記録の「ガンダム旅行」よりはずっと価値がある。何かしら書いたことで、自分の中でもこれで今回の体験にしっかり区切りをつけられたように感じるし、精神的にもすっきりした。逆にいえば、ガンダム旅行はまだすっきりしていない。アマの片隅に引っかかっていて、しっかり過去になりきっていない。明日は土曜出勤の振り替え休日で休みが取れたので、今夜はゆっくり休み、明日は英気を養うのに費やすとしよう。明日出勤の先輩と同期には申し訳ない気もするけどね。

(150分)

※今日の歩数:10733歩