行政の本質

民と官の本質的な性質・目的の差異がどこにあるかと問われれば、自分はこう答える。前者は何かを「起こす、生み出す」ことを目的としているが、後者は何かが「起きないようにする」ことを目的にしている、と。もちろんそれぞれには、本質にはそぐわない多くの例外がある。それでも大元をたどって見てみれば、このように言って差し支えないはずだ。


官、中でも行政というのは、人々が自らの生命と財産を脅かされることを心配することなく、平凡な毎日を当たり前のように過ごすためには、なくてはならない機能を果たしている。行政が人々に万が一のことが「起きないようにする」ためにしていることは、枚挙に暇がないほどだ。川や海に堤防を作ることによる治水、交通ルールを設けたり犯罪を取り締まったりする警察、食品の安全性を保つための工場や飲食店の衛生基準、工場の煙や排水から出る環境汚染物質を規制する環境基準、他国からの侵略を防ぐ国防、創作者の利益を守る著作権、建物に地震で倒壊しない十分な耐久性を求める耐震基準・・・。それらがなかったら、生命と財産の安全は決して「当たり前」のものではなくなる。それらがあるがゆえに、人々はいたずらに不安におびえることなく生活することが出来る。しかし何かが起きないようにするという行政の役割は、人々からその状態が当たり前と認識されてしまうため、重要性を意識されにくい。川が氾濫しないこと、食中毒に合わないこと、製品を使ってけがをしないこと、交通事故に遭わないこと、道を歩いていて強盗に襲われないことに、日々感謝しているという人はまずいない。行政がうまく機能しているときには、行政の存在というのは意識されないのである。その一方で、行政がふとしたはずみに何かの発生を防げなかったとき、何かが起きた時に迅速にそれを封じ込められなかったとき、行政は一躍注目を浴び、それまで「起こさないためにしてきた」努力をないがしろにされ、とことん非難されることになる。仕事を見事にこなしているときには評価されず、ひとたびミスをすれば全否定される。それが行政という機能の哀しき性であるし、行政の仕事をしている人たちにとっては大きなジレンマを感じる部分ではないかと思う。殊に「水と安全はタダ」と言われる日本においては、そうした傾向というのは顕著であろう。


行政の本質的な機能が「危険の防止」だというのは、19世紀の夜警国家的な考え方だと思われるかもしれない。20世紀というのは、行政が何かを「起こす、生み出す」という民間的な役割をどんどん行うようになっていき、国家機能が肥大化していった時代だった。そして国民もまた、国が目に見える形で「自分に」何かを「してくれる」ことへの期待を膨らませてきた。しかし、そもそもお金にならない、お金の取れない仕事をするのが、国の役割であり本質である。国民から集める税金を増やさずに、やることだけ増やしたら、財政が赤字になるのは至極当然のことだった。国は借金で首が回らなくなって今までのように「してあげる」ことができなくなり、国民は何も「してくれない」国に対して不満を募らせている。それが現在の日本の状態だ。近年の公務員叩きの背景には、前段で述べた行政の「防ぐ」機能におけるミスに対する批判のみならず、行政が「してくれない」ことへの不満もあるのではないかと個人的には思っている。結局、これは行政機能が本質から乖離しすぎたがゆえに生じてしまった問題である。だが、だからと言って、大きな政府か小さな政府かという二元論で考えてほしくはない。世の中はそんなに単純ではないのだ(およそこの世の中に二元論で最善の答えが見つかるということはありえない)。自分が言いたいのは、行政はその基本に立ち返って、何でもかんでも「してあげる」という姿勢を改め、国民も行政に過度な依存はしないようにすべきであるということだ。時代も変われば必要なことも変わるから、やはりそれに対応して一定のことを「手助けする」のはやむを得ない。しかしなるべく行政のそれを必要としないように、社会に活力を与え、自律的な行動を促進していくことが、複雑化し多様化していく一方のこの社会の持続のためには不可欠なのではないだろうか。


個人的には、日本の行政に携わっている人たちは、仕事を本当によく頑張っているに違いないと思っている。公務員の不祥事がニュースで大々的に取り上げられるのは、それだけそうした例が少なく、あってはならないことであると同時に日常的にあるとは考えられていないことであるからにほかならない。マスコミが1つの例をもって、まるでそれが全体にあてはまることであるかのように単純化して論じるのは、データを挙げて説明しようとすると、そうした例が少ないために統計学的に説得力を持たせられないからである。批判は受け止めつつもそれにめげることなく、自分の担っている職務の重要性を信じ、行政機能を取捨選択する勇気を持って、ぜひ今後とも頑張って欲しいと思っている。

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