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やっ、ちゃっ、たー。あー・・・。何でこんなことをしてしまったんだろう。時間を戻したい・・・。


という感じだった。この前、家の車庫で、車をシャッターの枠に擦ってしまったときに思ったことである。その時はすっかり夜であたりは暗く、特に後方が非常に見えづらかった。そこを「大丈夫だろう」と思って安易にバックした結果が、これだった。

塗装が削れて、皮みたいにめくれてしまっていた。当然ながら布で擦っても消えたりはしない。その一部は塗装の下の黒い部分が見えてしまっていた。人間で言えば、表皮をえぐりとって真皮まで傷が達しているといったところか。もはやどうにもならない、取り返しのつかないことだった。早く自分用の車庫が完成していれば、ボンネットがはみ出るほど狭いこんなところに無理やり入れなくて済んだのに、転回しながらバックしなくたって済んだのに、なんてことを散々後悔したが、そんなことをしてもただ虚しいだけだった。ではどうしたらよいのか。最初に考えたのは、「業者に頼んで直してもらう」ということだった。ネットで傷の状況に合わせてシミュレーションできるところがあったので、すぐに調べてみた。するとやっぱりというか、数万円かかると出た。「馬鹿らしい」と思った。2000円くらいなら出してもいい。でも数万円、それは高すぎる。ここで考えなければならない何よりも重要なことは、「これは今回が最初で最後の出来事ではない」ということだ。これは単なるきっかけにすぎず、これからも、意図するとせざるとに関わらず、自分の過失があるかないかに関わらず、大なり小なり車体はどんどん確実に傷んでいくのである。駐車場に並ぶ車を観察してみればそれは明らかだ。型式の古そうな車は、どれもみなそれ相応に痛んでいる。誰も皆、そうして現実を「受け入れて」きたのであるしかし一度、傷を看過できずお金を払って直してしまえば、傷がつくことを一切認めなくなり、次に傷がついてしまったときにもきっと同じ行動に出てしまうだろう。それは愚行であり無駄である。だからお金を払ってまで直すべきではない・・・と、色々考えているうちに次第に思うようになった。本音では「直したい」と思いつつも、「形あるものはいつか必ず壊れるのだ。今回はそれが単に少し早かったに過ぎない」と自分に言い聞かせるようにして、その日は気持ちを落ち着かせようと努めた。


その翌朝。忘れようと思いつつも、依然として傷のことが頭から離れなかった。出勤途中、コンビニに車を停めると、ぐるりと車体を眺め回し、具のないスープに浮かんだホコリのように、全体の中でただ一点浮きだって見えるその傷を見つめて頭を痛めた。しかしそのとき、あることにふと気付いて、はっとなった。何と別の場所にも塗装の剥げた傷があったのである。それは前日に出来た傷ほど深くないものであったが、確かに傷がついていた。それを見たとき、自分の中で何かが吹っ切れ、肩の力が抜ける感じがした。どこで傷をつけたのか全く分からないが、すでに傷は2つ出来ている、もはや一箇所だけではないのだ・・・そう思うと何故か気が楽になった。「まあ、もう仕方がないか」と思えるようになったのだった。


それ以降は前向きに物事を考えられるようになった。「外装に傷はついたけれど、へこまなくてよかった。へこみは遠くからでも目立つが、傷は近づかないと分からないからな」とか、「外装に執着するのは見栄っ張りだ。運転するときは外装なんか見えないんだから、外装よりも、実際の運転の快適性に影響する内装の好状態を保つように心がけるほうが、より実質的であり現実的な考え方として優れているはずだ」とかいったふうに考えるようになったのだった。だからといって外装を傷つけても一向に構わないということでは決してない。今回の件で、運転には改めて注意を払うようになったし、今日は帰ったあと、雨に濡れた車体を布で拭くことで汚れを落とし、外装の輝きをよみがえらせた。やはり外装はきれいであるに越したことはないし、今後も外装のコンディションを保つことには砕身するが、すでに事実として起こってしまったことに、くよくよしたりはしない。要するに、そういうスタンスで行くことを決心したということである。


もうじき車庫の増設が始まりそうな状況だ。早く出来上がって欲しいと思う。

(65分)