液晶保護シール

以前、自分は液晶画面にやたらと「液晶保護シール」を張りたがる人間だった。液晶画面(より正確には液晶の上に被さっている透明なプラスチック)が傷つくことを極端に恐れていたのである。その傾向が顕著に現れるようになったのは、おそらく04年ごろからだろう。それ以来、ニンテンドーDSDS Lite、デジカメ、そして携帯電話と、持ち運べるタイプの電子機器の液晶画面には、必ずその機器専用の保護シールを貼り付けるようにしてきた。


しかしこれが大変難儀な作業であった。画面とシールとの間に埃や空気が入らないようにするのがどうにも難しいのである。なんせ空気中にはいつでもどこでも無数の埃が舞っているのだ。それをなるべく挟み込まないようにするには、慎重で正確で、しかし迅速な作業が求められた。一度シールを台紙から剥がしたら、その瞬間からシールの接着面はどんどん埃をくっつけていくことになる。もたもたしていては埃が入る可能性が増すので急いで貼らねばならない。当然、貼られるほうの画面も綺麗に汚れを拭い去っておく必要がある。失敗したからと何度も貼りなおすと、シールは埃で汚れて見るも無残な姿と成り果ててしまう。だから勝負は基本的に一度きり。一瞬で綺麗に貼れるかどうかにかかっているのである。だが、これがもう全く自分には向いていない作業だった。神経質なタチなので、ほんのわずかでも埃が混じってしまうとそれが気に食わなくて、やりなおしてしまうのだ。一回きりの勝負のはずなのに、もう一度シールをめくって、セロテープでその埃をくっつけて取ってまた貼る。すると今度は別の埃が混入するので、改めてめくってその埃を取る。そんな感じでやってるうちに細かい埃がごちゃごちゃ混入してもう取り返しのつかない状態になり、最後にはそれを大して目立たないからと無視することにして止む無く妥協するといった有様だった。確かに、しばらくたつと、小さな埃が入っているか否かなどということは、使用上全く気にならなくなり、忘れてしまうのだが、貼った時点ではもう気になって気になって仕方なかった。きちんと貼れなかったことにイライラする気持ちを抑えられなかった。本来は「液晶を保護する」ことが目的だったのに、いざ貼り出すと「いかに綺麗に貼るか」ということが目的にすり替わってしまっていたのである。ゆえにそうした不毛な葛藤を生じることになったのだった。


当時は埃が舞わないよう作業時は着衣をなるべく脱ぐとか、家の中でも比較的埃が少ないといわれる浴室で作業をするとか、変に色々努力をしていた。そうした偏執的な努力のいくらかを勉強に傾けていたら、(その善し悪しは別として)今の自分はいないだろう。だが近ごろは、保護シールを貼る作業の精神的負担に嫌気が差して、めっきり貼らなくなってしまった。最近買ったデジカメEXILIM EX-G1にはシールが貼られていない。形あるものいつかは壊れる。小さな傷がついたつかないなんて些細なことにこだわるのはやめよう。そう思えるようになった。大変いい傾向だと思う。外面的なこと(見た目)より、実質的なこと(機能性、使用可能性)に重きを置くようになったということだから、エコロジーの理念に合致するともいえる。何より車という図体のでかいモノをも保有し使用している今、一々傷を気にしていたら埒が明かないので、こうした傾向はある意味必然的に生じたものでもあっただろう。ということで、車は慎重に運転してはいるが、洗ったり傷がつかないように気を遣ったりということは特にしていない。雨が降れば綺麗になるかな、みたいなスタンスでいる。


それはともかく、何で上で延々とこんな話をしたかと言うと、先週土曜に携帯の液晶保護シールを剥がしたということを書くための前置きが必要だったから。3.5年間同じ携帯を使ってきて、買った当初に貼り付けた保護シールも傷だらけになってきたので、「もう別に画面本体に傷が付いてもいいや」と思ってエイっとシールを剥がした。そうしたら傷がなくピカピカで美しく光沢を放つ、メイン液晶と背面液晶の本来の姿があらわになって、何だか生まれ変わったみたいで、携帯への愛着が少しだけ蘇ったのだった。自分が使っているFOMA F902iは映画「デスノート」で主人公の夜神月(藤原達也)が使っていた携帯だ。アルミ蒸着で銀色に光沢を放つ外面と円形の背面液晶が特徴的で、計算高く冷徹な月のキャラクターを表現する小道具として十分な品格を備えていたのではないかと、今更ながら思う。ただ自分がこれを選んだ理由は映画とは何の関係もなく、F(富士通製)を使ってみたかったので安い型落ちのものを選んだら、これがちょうどよかったというだけのことだった。あとどれだけの間現役でいてくれるのか分からないが、壊れるまで大事に使っていきたいと思っている。





↑キズがないことを写真で表現するのは難しい・・・

↑逆にキズがこれだけついていたというのは容易に示しうる(剥がされた背面液晶のシール)

(75分)