優秀さ

優秀さというのは、物事に正しく最適な優先順位を付けられることなんじゃないかと常々思っている。要するに、今一番やるべきことを最優先でやる、ということを長年続けられる人ということだ。一見才能によるところが大きいと思われるスポーツ選手や芸術家の活躍にだって、結構これは当てはまるんじゃないかと思う。具体的な例を挙げると細かくなるのでここではしないが、一般的なシチュエーションで単純に言えば、遊ぶ前に宿題を済ませるとか、寝る前に翌日の支度を済ませておくとか、若いうちに苦労を重ねるとか、そういうことが出来るということで、言い換えると「大変なことは先に済ませて、後で楽をする姿勢」ということになる。考えてみて欲しい。元気で若い人生の前半が楽で、老いて体の自由も利かなくなる後半が苦なのと、その逆とではどちらがいいだろう。大半の人は逆のほうを選ぶはずだ。自分が環境問題を深刻視する理由もここにある。ただひとえに「死ぬ前に資源が枯渇したら困るから」という理由である。資源には広く取れば文化や自然の景観も含まれる。エネルギー不足で電気が不足した中で凍え死ぬのを防ぐためと思えばこそ、寒い部屋で今こうしてエアコンもつけずにキーボードを打つ作業も我慢できるのだ。


ただ自分は残念なことにこうした信念を常に維持できない。むしろこの考え方に逸れた行動を取っている時間のほうが大半である。明日の朝やればいいやと思って宿題をしないまま寝る(で、結局提出しないまま踏み倒すというのが高校時代の常態だった)し、ベッドが気持ちよければ授業を休んで寝続けてしまう。公務員試験勉強をしていた当時だって、合格してから存分にやればいいものを、我慢できずにゲームやニコ動のために恐ろしいほどの時間を割いていた。つまり、自分は優先順位を付けられない、守れない人間なのである。ただ人間社会全体で見ても、そうした人は少なくないのではないだろうか。「人生全体で見た効用の最大化」という目的のために、自分を律し合理的な行動を取れる「経済人」はむしろ少数派だろう。それゆえ死ぬとき最も苦しむがんといわれる肺がんのリスクを高めるタバコがたくさん売れて、行動経済学という人間の不合理性を重視する学問分野が注目を浴びているのだ。みんなが出来ないことを出来るからこそ、優秀な人は優秀と見なされ、活躍出来るのである。自分も今までの愚行を悔い改めてどうにかして優先順位の付けられる人間に近づきたいものだが、明日の朝に人との約束が入っているのに、こんな時間までどうでもいい文章を書くためにパソコンをし寝坊リスクを上昇させている時点で、まずそれには程遠いといわざるを得ない。自分はどこまで行っても凡人未満だ。全く、残念である。

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