なぜ死ぬか

生物が死ぬ理由は二つあると思う。


一つは種の保存のため。一つの個体が長く生き続ければ、怪我や病気や経年劣化で生体の機能が低下する可能性が高まり、子孫を残すという役割を果たせなくなってくる。そこでごく短い一定期間で古い個体を捨て去り、新しい個体に更新することで、そうしたリスクを軽減し、より確実に子孫を残せるようにするのである。


もう一つは多くの子孫に生きる機会を与えるため。もし一つの個体が殺されでもしない限りいつまでも行き続けることが出来るなら、その種の個体数は膨張した後一定数で飽和し、新たな固体が生まれる余地はほとんどなくなることになる。すでに生きている個体にとっては、それは不老不死であり永遠の平穏を手にすることであるかもしれないが、まだ生まれていないものにとっては、自分が生まれることすら出来ないということであり、生きる権利を剥奪されることでもある。(仮定すること自体が突拍子もないことではあるが)もし人類が不老不死だったら、今この時代に自分は生まれていないはずだ。多くのものが死に、多くのものが生まれることで、多くの人生が繰り広げられる。それは生物種の多様性、適応力を高めることにつながるものでもあるのであり、1つ目の理由にもつながっている。


自分はそういうふうに、死の価値を捉えている。ただこれは感情を抜きにした論理なので、人間社会における意味を考えた場合はもっと多くの要素を汲み取らねばならない。また自分自身でも本心から死を肯定できるわけではない。その不条理さを思い知らされることばかりだ。実際自分自身が死を前にしたら、きっと恐れおののくことだろうと思う。しかし死を恐れることが出来るのも生きているがゆえのこと。死んでしまった後では考えることすら出来ない。自分は死ぬまでの短い間に何のために生きるのか、何をしたくて、何が出来るのか。悩みたいだけ悩んでおけばいい。来世があるとは思っていないが、記憶がリセットされた来世など、あったところで結局ないのと同じだ。

(50分)