無尽猛省

自分の過失や判断ミス、状況の変化に気付いていながら、それを改める行動を取れなかった、放置した、起こりうる危機を未然に防げなかったというのは、その罪深さにおいて、その事態に全く気付かなかった愚鈍さと何ら変わりないのではないかと思う。自分では、「いや、それは確かに気付いていたんだ」と思っていたところで、他者にとってはそんなのはどうでもいいことだ。結果的にどうなったのか、それが全てであり、それのみが他者の評価の対象になる。迷って迷って迷い抜いたとしても、その自己の内的活動が他者の目に映らない以上、人はそれを「惜しかったね」などと労ってくれはしない。至極当然である。言い訳としてそれを口にするのはただ見苦しく痛々しいいだけであり、言葉にしないのが心の傷を広げないための最適な応急措置である。しかし、そういう心の葛藤があったという事実さえも忘れてしまうのは、自分の成長に結び付かず、本当にただバカを露呈しただけで片付けられてしまう。だからせめて、自分のやってしまった猛省すべき過失をここに書き残しておきたいと思った。ただその過失は色々な原因があまりにも複雑に絡み合い、波及する効果も単純ではなかった。だから今文章としてまとめるのは不可能だった。だから経緯や対応を省いて端的に反省の結論だけ言えば、「迷ったら行動しろ。最低限、口に出して他者の意見を求めてみろ」ということを行っておきたい。優柔不断な自分には難しいことだが、これをいい加減にすると、人生が大きく傾くから、決して疎かにしてはいけない。自分は昨日今日の二日間で、人をきちんとおもてなし出来なかったことによって、これを深く反省した。自分の人間的未熟さを果てしなく悔やんだ。こんな思いをもうしなくて済むように、今度こそ、今度こそは、行動で報いねばならない。今思うことは、一言で言えばただそれに尽きる。

(30分、携帯)