New Album

かねてから気になっていて、Amazonに予約注文していたアレが、発売日の昨日、ついに届いた。


フジファブリックのニューアルバム、「MUSIC」である。このバンドのボーカルで、ほとんどすべての曲の作詞作曲を手掛けていた志村正彦は、昨年12月に急死した。なのに、それから7カ月たった今、新譜が出た。果たしてその出来はいかなるものなのか、全く想像がつかないが、いずれにせよ、これを聴いてみないことには判断しようがない。とはいえ、このアルバムについての情報は事前にほとんど収集せず、自分がただ発売の日をじっと待っていたのには、フジファブリックの、志村の音楽を聴けるということへの、大きな期待感があったからに他ならない。これが志村の残した音源を基に作られたアルバムだとすれば、これが本当に志村の「最後の新作」ということになる。とすれば、新作の発売を待つときのうずうずするような、じれったいような、でもたまらなくワクワク感ばかりが募る気持ちを味わえるのは、これが最後ということになる。実際の新譜の出来の良し悪しに関わらず、それを初めて聴くのを「待っているときの心境」というのは常に同じ心の高ぶりを伴うものだ。その心境というのは、まるで祭りが始まる前の準備をしているときのようなもので、上がり調子一辺倒のものである。だから、それゆえに、祭りが始まり、やがて終わってしまうことが、何より恐ろしくも思えるのである。このまま、願わくばずっと祭りが始まらないままの状態で、いつまでも祭りの準備をしていたい・・・、期待が叶えられようと、裏切られようと、祭りはやがて終わるのだから、それならばいっそ、自分が作り上げた希望に満ちた幻想の中で、覚めることのない夢におぼれていたい・・・。そんなふうにさえ思う。それはつまり、決してこの新譜を聴かず、いつまでも現実を見ないままでいるということを意味する。それもひとつの幸せかもしれない。しかし、それがまっとうなフジファブリックファンのすることだと言えるのかどうか。全てを見ようとしないで、どうしてファンを名乗っていられようか。そう思う気持ちも、心のもう片方にはっきりと存在している。そして今の自分は、後者の姿勢こそが、正しいのではないかと思っている。だから、自分はこのアルバムを買い、聴こうとすることを選んだ。フジファブリックの全てを見ようと心の決めたのである。今日は職員のいない休日の大学で、一人仕事をすることになるわけだが、夜にこの新譜を聴けることを楽しみにして、一日頑張りたいと思う。


また、すでに到着して丸一カ月にもなるのだが、フジファブリックの作品で、こんなものも買っている。


フジファブリックがこれまでに発表したシングルのA面曲を集めたアルバムと、シングルのB面曲に未発表曲にライブ映像にドキュメント映像に限定生産のレアアルバムにフォトブックまでつけた超豪華仕様の「ボックス」の2作品である。こちらは先月末に発売されたものだが、いまだに未開封である。これもこの際、思い切って見てみるとしよう。ただボックスは・・・

このとおり非常に分厚いので、一晩では見きれない、聴ききれないかもしれない。まあそれもいいだろう。泣いても笑ってもこれが最後だ。ゆっくりじっくり味わってみるとしよう。

(45分、7/30夜および7/31朝)