職員証は、まだ無い

結局この土日に、眼科へ行って新しいコンタクトを作るなんてことはしなかった。今日もたまに手元の資料にピントが合わなくなり、文字がぼやけて見えてしまった。行かなかったのは保険証を受け取ったのが今日になってからだったため、というのは後付けの理由で、実際はただ面倒だったから。というか、普通に今までの休日の感覚で過ごしていたらいつの間にか休みが終わってしまって、用事を済ませられなかった。平日も同じことだ。夜、家に帰ってきて、夕飯を食べて、ほわ〜っとして少しくつろいでいたらもう寝る時刻だ。これまでの時間感覚のままでは、腰を据えて何かする時間などとてもではないが作れない。テキパキ動くか、やることを限定するかしないとダメだ。少なくとも今までのように、ブログを書いて、日記をつけて、ネサフして・・・なんてことは悠長にやってはいられない。今日だって、書きたいことは山ほどあるのに、書かないまま寝なければならないことが明白で、そのもどかしさで胸が痛むほどだ。ブログに書きたいことはあっても、それを書いていると多大な時間を要するから、やむなくさらっと書けるようなことで済ませるということになってしまう。これではやりきれない。時間の使い方というものを、記録作成のあり方というものを、根本的に見直すべきときに差し掛かっているようだ。今月中に全てを刷新し、合理化したい。ついでに近ごろ頻繁にフリーズし、4年の歳月を経て動きもすっかり遅くなったこのご老体とも言うべきノートPCを買い換えることも検討したい。というか早く行いたい。こんなものにお金の記録を任せていては、いつデータが飛んでもおかしくないので気が気じゃない。機能はシンプルでいいので、とにかく信頼性の高そうな機種を選んで買いたいと思う。これも今月中に完了させるということで。


今日は何だか仕事をした気にはならなかった。きちんとした研修というのがなく、いきなり放り込まれた配属先で徐々に仕事を覚えていくというシステムなので、今の段階ではやはりほとんど出来ることがなく、今日もデスクにいた時間の半分くらいは、やることが与えられていないので仕事をしているような振りをしてカモフラージュするという感じで過ごしてしまった。それは具体的には、資料を読んだり、メールチェックをしたり、スケジュールを確認したり、前任の人たちが残したネットワーク上の文書をフォルダ分けして整理したりとかいったことだった。上司の指示で簡単な掲示用文書も作ってはみたが、どうでもいいようなレイアウトの細かい修正を度々受け、「そんなの誰も気にしないから、さっさと済ませて次の仕事させてよ」と思ってしまった。やれることがなく、話をしたかった同じ部署の4つ年上の先輩もどこかに行ったまま戻ってこなかったので、今日も終業時刻後間もなく帰ることになった。帰っていいとも、残って何かやれとも言われないので、なら帰ったほうがいいやと思って帰ったのだった。忙しくないと不安、という日本人特有(?)の心理が、忙しくないけど何だか理解できた気がした。これでは「仕事をやってる」という実感が得られないから、これでいいのだろうかという不安が感じられてしまうのだ。形のない仕事をしている事務屋であればなおさらだ。だからある意味、非公務員でよかったかもしれない。これで公務員だったら国民から非難轟々だ。各市町村に1つしかない、一種の「独占企業」である役所とは違って、大学なんてのはいくらでも代替が利くものだから、お取り潰しに遭う可能性というのは常にどこかに見え隠れしている。これで潰されて野に放り出されても文句は言えないかもな、なんてことさえ思った。まあ暇なのは今のうちだけで、これからバンバン仕事が増えていくと考えたほうがむしろ現実的だし、今日だって実際はほとんど受けはしなかったものの、新たにイベントの申し込みの電話を受け付ける仕事を任されもした。それゆえ時折「いつ電話来るのかな」とドキドキソワソワしたりもした。暇そうにしていて文句を言われないうちは今のうちだけだからそんなに気にするべきじゃない、というのが1つの真理なのかもしれない。自分の部署の全貌が見えてきたころには、その中に自分の役割、仕事の意義というものも見出せるのではないかと期待している。


何だかんだでやっぱり長く書いてしまった。1時間前に寝るはずだったのに。これでは朝を活用することが、「朝活」が出来ないではないか。ああ、早く超朝型の生活リズムをつくって定着させなければ。

(60分)