ロマンチスト

昔、SFC版のドラクエ3を初めてプレイしたとき、プレイ開始直後の性格診断で「ロマンチスト」と診断された。ロマンチストか、なんかいいな、と思って気に入ってしまった。その後GB版のドラクエ3をプレイしたときも、ロマンチストになるまで何回も性格診断をやり直し、晴れてその性格になったあとは、最後までその性格でプレイした。「ねっけつかん」などのほうが成長の上で有利だということは知っていたし、他のキャラクターを作るときはそういう性格になるようにしたが、主人公は何と言ってもロマンチストだった。


というのが、かれこれ10年近く前の小中学生の時分の話で、今の自分にロマンチスト的な部分は微塵もない。ただの無気力で面倒くさがりで、日々のことで頭がいっぱいの、夢の希望も特にないしょーもないオトナだ。が、社会の変化についていけないあまり、たまに現実離れしたことを想像して現実逃避することがある。例えば全身の細胞は何年かで骨さえも全て生まれ変わるということは、この肉体は自分自身の固有のものとは言えないし、自己と他者(世界)の区別なんて長期的に見たら一体どこにあるんだろう、肉体が他者で構築され更新されていくのだから自分自信の心・精神をずっと確固とした一つの存在だと信じられる保証なんてどこにもないんじゃないか、自分なんてどこにもなくて全ては他者なんじゃ、あるいはその逆なんじゃ・・・とかね。


それで今日唐突に気になったのは、「もし地球の中心を通って裏側まで貫通する穴を掘ったら、どこまで『落ちる』のだろうか」ということだった。別に今日思いついたわけじゃなく前からあるテーマの一つなのだが、何度目かの「掘り返し」をしたのである。どうやってそんな深い穴を掘るのかという技術的な問題や、自転するから真っ直ぐ落下出来ないし高音高圧の地球の核に人間が耐えられる訳がないとかいった物理的な制約は排除した、「中心に向かって重力が働く球体の地球」という条件のみを設定した純粋な思考実験なのだが、なかなかどうして考え出すと結構気になってしまう。地中に真っ直ぐ猛烈に加速しながら落下して行ったとして、中心を通過した後は今度は今まで下だった方向が上になり、一体どのくらい「上昇」するのだろうか、それから再び落下して、結局それを一体何回繰り返すのだろうか、その加速と減速、反転の繰り返しの感覚はブランコで前後に揺れるようなものだろうか。そして最も気になる重要な疑問は、最終的には中心で静止して、地球にいながらにして「無重力」になるのかどうか、ということだ。無重力は宇宙空間の専売特許であるはず(落下する飛行機内とかは擬似無重力だから偽者だ)なのに、それが地球の中において実現するとしたら、宇宙の認識というのは大きく変わってしまうだろう。そもそも重力というのは一体どこから生じるものなのか・・・。風呂に入りながらこんなことを考え出すと、何分経っても飽きが来ない。こういうのは愉快であり、哲学的でもある遊びじゃあないかと思っている。


こういう空想話がときたま無性に人としたくなるのだが、今度誰か付き合ってくれないもんかな。

(45分)