読書:親を惑わす専門家の言葉

書名:親を惑わす専門家の言葉
著者:徳田 克己、水野 智美
出版社:中央公論社
発売日:2009/11/11
読了日:2009/11/25



「自分で高いお金出してAmazonとかで本を買わなくたって、図書館にある本を読めばいいじゃん」という当たり前のことに最近気がついて、近頃は図書館で新刊本のコーナーを物色するのが習慣となりつつある。昨日は図書館にないけど高くて買えない、しかしどうしても読みたい本があったので、初めて図書のリクエストに応募してみた。採用されて図書館の蔵書に加えてもらえるかは分からないが、楽しみである。


この本も新刊本のコーナーで見つけたものだ。今まで全く読んだことのない「育児」というジャンルの本だったが、新書ならさくっと読めるだろうと思って手にとってみた。案の定2時間ほどで180ページあまりを読みきることができた。


本書の内容は、ネットやテレビなどからあふれる子育てに関する情報に右往左往する親たちに対して、そうした相談に長年答えてきた著者たちが冷静で適切なアドバイスを与えるといったもの。例えば、「ゲーム脳なんて現象は本当か」とか、「一人っ子だとわがままになるのか」といった、世間でまかり通っている根拠の乏しい、あるいは全くの誤解でしかない言説を、経験と科学の見地からばっさり斬り捨てたり、親が陥りやすい子どもへの過剰な期待感を子どもにとって本当に必要な力は何なのかという観点から、落ち着かせたりといったことが挙げられる。


子育てなんかしてない、むしろまだ育てられている側である自分からしてみれば、何でそんな話を信じちゃうんだろうとか、3歳までに学ばせなきゃなんてふうに急き立てないで子どもをもっとのびのびと育てたらどうだよとか、ファミコンで遊んで育ってきた世代だってみんな立派に社会人やってんだからそんな深刻な影響があるわけないだろとか、親たちの困惑する様子に対して違和感を感じる部分も多かった。でも、実際親の立場になってみると、分からないことだらけで不安で、また子どもを思う気持ちの強さゆえ、あいまいな情報に流されやすくなってしまうのかな、と思いをめぐらせたのだった。考えてみると、子どもが一人の人間として自立できるようになるまでの、親のかける手間や苦労や、その原動力である愛情というのは計り知れないものであるはず。そう思うと、そこらへんを歩いている一人ひとりの存在が、より重いものに見えてくる。


翻ってみて、自分はどう育てられたんだろうか。この本を読んでわが身を振り返ってみると、厳しくもおおらかに育てられたという風に感じる。ゲームを初めて買ってもらったのが小3のときと遅かった上に土日に1時間しかやらせてもらえなかったり、言葉遣いや食事のマナーをよく注意されたり、部屋や机が汚いとすぐに怒られて場合によっては強制撤去されたりと、厳しいところはかなり厳しかった。その一方で、本書に登場するような怪しげな風説を自分に適用されたようなことはなかったし、勉強しろ勉強しろとうるさくいう反面でそれをサボったりして反抗する余地も残されていたので、自分を上から下に押さえつけたりせず、自分で考えて行動させようという意図があったのではないかと思う。過剰に期待感を示されなかったことで、勉強などに挫折しても、自分で適応し健全に乗り越え立ち直ることができた。完璧主義でも放任主義でもない、その中間の適度な自由度が、今の自分の人格形成をもたらしたのだろう。そう考えると、自分は結構適切な加減で、まともに育ったんだなというふうに思う。小〜高の当時はしたいように遊ぶこともできず、鬱憤をためたものだが、今思えばそれも自分を思ってのことだったのだと理解できる。さすがに両親とも小学校教員をやってるだけのことはあるな、プロは伊達じゃないぜ、と今更ながら見直しただった。


自分はまだ結婚とか育児なんて考えてもいないけど、果たして自分にはマニュアルに頼らず、氾濫する情報に惑わされず、自分の価値観と子どもの真の幸福を願っての思いやりとをきちんと持って、子どもを健やかにまっすぐな人間に育てることができるだろうか。いや、まだまだそれには自分の心は浅く狭すぎる、荷が重過ぎるといわざるを得ない。子育ては勉強してやるもんじゃなく、人を知ることで、多くの生き方を知ることで、どうすればいいかが見えてくる、分かってくるものなのではないだろうか。少なくとも今の自分は、子どものお手本になれるほど立派で懐の広い人間じゃない。何はともあれ、もっと精進せねば。

(60分)