締め2024

2024年も今日で終わり。しかし自分は、明日死んでも後悔しないように「1日1日が1つの人生」と思って日々を生きているので、「今年が終わる前に」何かしなければという感覚は希薄だ。カレンダーの並びで「9連休」に浮かれる世間をよそに、シフト勤務の自分の職場は「6連休」だから、年末年始の休暇に特別感もない。あるとすれば、仕事が進まないのに時間だけが過ぎることへの、不満ともどかしさくらいだ。今年は本当に仕事に悩まされ続けた1年で、1日たりとも仕事のことを忘れて何かに打ち込んだりできる日はなかった。課題を前に進めて1つ肩の荷が下りたかと思うと、また2つ課題が発生するというような具合で、気の休まる瞬間は微塵も無かったというのが偽らざる事実だ。

 

1年というスパンで物事を振り返るのは苦手だ。あまりにも長くて、どんなことがあったか容易には思い出せないし、その一つ一つに思いを馳せていたらどれだけ時間があっても足りない。ただ、心に暗い影を落とす辛いこと、大変なことが多かったし、特に今月に入ってからは気持ちを前向きに保つことが非常に困難な日々が続いた。あらゆる欲求が消失し、何も感じられなくなって、何もしたくないのに、それでも社会的職業的役割は果たさなくてはならなくて、空元気を出そうにも出せなくて、心が引き裂かれそうな日もあった。原因としては、自分の問題への対処に追われ、子供と妻にきちんと向き合い寄り添う時間を十分に作らなかったことにあり、結果的にカッとなった妻のヴェスヴィオ火山が何度か大爆発して逃げる間もなく火砕流に巻き込まれた・・・という話で、要するに家庭内のゴタゴタだった。とはいえ「家庭の平和は世界平和の礎」だし、心の安定なくして人生は何一つ成り立たない。妻は一旦スイッチが入ると「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で精神的物理的攻撃を徹底的に続ける上、我に返って自然に回復することはないので、自分からあの手この手で状況の打開・改善を働きかける以外に道はない。そのため、「大噴火」の期間中は、今年度唯一の宿泊の出張を前日にキャンセルし、楽しみにしていた有志の飲み会も泣く泣く欠席して、事態の鎮圧に専念した。その甲斐あって、平和を再び取り戻すことができたときは、寂寥感で灰色に覆われていた世界に太陽輝く青空が一気に広がったような気分になり、平和のありがたみを泣きたいくらいに噛みしめることになる(時には実際に泣く)。だからこそ、いついかなる時にも家庭のことは最重要案件だし、妻に対して油断をせず予断を許さない態勢が不可欠となる。

 

「仕事も家庭も一大事」・・・思えばそんな1年だった。ただ、そんなふうに他律的に振り回されてばかりだったかというと、それが全てでは無かった。今後の生き方を決定づける選択について、自分自身で大きな決断をした出来事が1つ、今年はあった。それは、「自分の家を買った」ことだった。「大事なことは誰かに相談せず、自分の心の声に従って決める」という自分の信条を、これほどストレートに体現した出来事は、ほかにないだろう。それはまさに電撃的な決断だった。チラシを見て立地と価格に興味を持ち、土地付きの建売住宅を妻と共に6月末に内覧すると、その翌日には購入を申込み、7月に正式契約。8月下旬には代金を支払って物件が引き渡され、9月末にはアパートを引き払って新居に入居したのだった。その間に、不動産会社が勧める地元の金融機関を断って自分が20年来使っているPayPay銀行(旧ジャパンネット銀行)の住宅ローンを申込み、当時業界最低の変動金利0.37%(団信付き)で返済期間20年(月5万円)の融資を獲得。アパートの退去と新居への入居に伴う電気ガス水道新聞ネットNHKその他諸々の各種手続きを処理し、職場への届出も申請。購入費用のうち、住宅ローン1200万円以外は自己資金で賄うため、金融資産を一部解約するなどして1000万円超の現金確保に奔走。自分の実家には買うと決めた後で報告・・・といった具合である。購入前にほかの物件は一切内見せず、ハウスメーカーやスーモカウンター的な家探しの相談窓口等には1度も足を運ばず、資金計画もファイナンシャルプランナーの手を借りずに自分で立て、先に家を建てた友人や同僚に経験談を聞くことすらなく、全て自分で決めて自前で立ち回ったのだから、今考えてもよくやったものだと思う。契約申込みから入居までの3ヶ月、特に様々な手続きに追われた前半1ヶ月半は、まさに目の回るような展開だった。

 

2000万円超の桁違いに大きな買い物を、これだけスピーディに、迷いやためらいも一切無く、即断即決できたのは、上記の信条を常に心の柱に据えていたことと共に、妻が「この家がいい」と後押ししてくれたことが大きかった。元々、持ち家が欲しいと一番強く思っていたのは妻だったし、住宅購入に動き始めた起点も妻の希望からだった。自分は地元の市内であれば、どこの地区にどんな形で住むことにもこだわりはなかった(実家への執着も無かった)ので、妻が一番いいと思う物件にしようと腹に決めていた。だから、子供の学校に近くて徒歩で通えるという「好立地」と、土地付き2階建て駐車スペースありで2000万円という「値頃感」、何より建売住宅という性質上、うかうかしていると他の人に先に買われてしまうという「タイミング」の観点から、電光石火で購入に踏み切ったのだった。今考えてみれば、あまりに早すぎて下調べも何もしなかったのはどうかと思う部分もあるにはあるが、それでもやはり「巧遅は拙速に如かず」が真理だったと納得する部分のほうが大きい。色々調べて知識が増えて選択肢が増えるほど、「あれもこれも」と欲張って価格も跳ね上がるし、決断も鈍っていたずらに時間だけが経つことになりかねない。小1の子供とこれから先のことを考えたとき、一緒に家に住めるのは、せいぜい高校卒業までの12年弱でしかない。一生に一度のことだからと、2年も3年もかけてどんな家を建てようか考えていては、新しい家で過ごす時間がそれだけ失われるということに他ならない。何より、こういう重大な決断をするとき、選択肢が増えるのは必ずしもよいことではない。オプションやリクエストを受け付けない、いわば「選択肢がない」建売住宅だったのは、素早い決断を後押ししたし、注文住宅にありがちな「やっぱりここはアレにしたほうがよかったかも」という後悔を生む芽を断ち切る意味でも、自分にとっては非常によいことだった。また、家に夢やこだわりがなかった自分にとっては、とにかく「住め『れ』ば都」だったし、自分の要望に沿ってゼロから作り上げるよりも、所与の条件の中でいかに工夫して楽しむかのほうが性に合っていた。実際、住んでみて「やっぱり注文住宅のほうがよかった」と思う部分は一切なかった。そうしたことから、自分にとっては、今回の建売住宅というのはベストな選択肢だったと思うし、最適なタイミングで、正しい決断をできたと確信している。

 

新居での生活も3ヶ月経ち、車が2台停められる1.5m耐雪のカーポートと、エアコン4台の取付工事も終わって、今は不自由や不満もなく、快適な日常を送ることができている。自分の家、と考えるとまだ少し不思議な感じがするが、妻も子供も喜んでいるし、自分にとって落ち着ける空間、帰る場所であることは紛れもない事実だ。家族が一人一部屋の居室を持てるようになってプライバシーも確保されたし、風呂は足を伸ばして湯船に浸かれるようになったし、リビングには妻が買ったマッサージ機が設置されて風呂上がりには全自動で体をほぐせるようにもなって、QOLは確実に向上した。あとはとにかく家庭が平穏でさえあれば、これ以上望むものはない。「足るを知る」とは、こういうことを言うのではないだろうか。仕事に苦難・困難はあるにせよ、家を買うという大仕事をやり遂げ、今日時点で妻も子供もご機嫌だ。「終わりよければすべてよし」・・・今年もよい年だったという感慨が胸に広がるのを確かめながら、激動の2024年を締めくくることとする。

 

(24/12/31~25/1/2、200分)