シン・エヴァンゲリオン劇場版:||

今日は午後から半休を取り、3、4年ぶりに映画館へと向かった。目的は、3月8日から公開された映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を鑑賞することだった。

 

多忙と混迷を極める年度末の業務から無理矢理エスケープしてまで、平日の真っ昼間に観に行った理由は、まず平日日中でないと3時間近いまとまった時間を自分のために確保するのが困難であるため。そして、早く鑑賞しないと、いつどこで誰にネタバレされるか分からないという不安に駆られたためだった。公開からのこの一週間というもの、テレビを見るのも緊張を強いられたし、ネットも仕事以外では使わないようにして、エヴァ関連のネタバレ情報を遮断すべく苦心してきた。特にネットのニュースサイトなどは絶対にご法度だ。なにせ、前作「Q」から数えること8年半ぶりの新作にして、完結編である。キャッチコピーも「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」ときたもんだ。うっかり重要なことを目にし、耳にしてしまったら、これまで待たされた時間を棒に振りかねない。その心理は多くのエヴァファンにとって共通するものだったらしく、「ツイッター封印」とかなんとかいう言葉がトレンドワードになったらしい。しかし自分にしてみれば、ネットにそんなワードをつぶやく時点でネットを遮断できていない証だ。なので、本当のファンは一切レスポンスをしないか、あるいは公開初日に真っ先に観に行ったと思われる。

 

自分は一応これまで、貞本義行のコミック、テレビアニメ、旧劇場版、新劇場版と、オリジナルの全作品を観てきたし、エヴァとの付き合いも大学生時代から始まってかれこれ14年くらいになるのだが、しかし完結編となる本作の公開をそこまで待望していたわけではなかった。理由はたぶん、ファンの半分くらいには理解してもらえると思うのだが、第一に「Q」の公開時点で「このシリーズは「破」という素晴らしい作品をもって見事に完結した」と自己暗示せざるを得なかったこと、第二に庵野秀明監督の製作スピードからすると「今世紀中の完結は困難ではないか」と半ば本気で思っていたことによる。

 

で、ここからが鑑賞後の感想だ。念のため、未鑑賞の人にはネタバレを警告しておく。

 

率直にいうと、「やはり「破」は本当に素晴らしい作品だった。劇場に2回観に行った価値はあった。あれは見事な完結編だったね」という一言に尽きる。物語は、始めるより終わらせるほうが難しい、とはよく聞く言葉だが、本作ほどそれをまざまざと体現している例はほかにあるまい。前半は、「あれ、俺はジブリ映画を観に来たんだっけか」という錯覚に襲われるややほのぼの展開だったのが、後半は旧劇場版のそのまんまリフレインのような精神世界に深く入り込んでいき、観ている途中からぐったり疲れてしまった。そして、誰もが危惧しつつ、しかしやっぱりそうなるしかないよなと納得せざるを得ない、案の定な結末。まあ、庵野監督も辛かったろうな、おつかれさま、もうこれからは特撮でもなんでも好きなことやって、エヴァの呪縛から解放されてください…そんなふうに監督(総監督)に感情移入してしまうほかなかった。…とまあ、作品の内容そのものに対してはコテンパンな評価しかしようもない感じなのだが、エンドロールの最後の最後に宇多田ヒカルの「Beautiful World」のアレンジバージョンが流れたことで、新劇場版:破までの希望ある時代の感情が蘇ったのは実によい演出だったし、アスカがワンダースワンみたいなゲーム機で「グンペイ」をプレイしていたり、分かる人にだけちょっと引っかかる小ネタが色々織り交ぜられてたのは面白いと感じた。何より、「これでやっと終わった」という解放感が、「終劇」後にはある種の心地よさとして残った。どんな結末であれ、ファンとして、エヴァの最後は見届けなけば、死ぬに死ねないと常々思っていた。その呪縛から、自分自身もようやく解放されたという意味で、今日は「新たな旅立ちの日」といってもよい、記念すべき日となった。

 

エヴァファンをこれからも続けるかどうか、鑑賞前はフィフティフィフティだった。だが、「シン・エヴァ」が結果的に「破」の絶対的価値を際立たせたことで、自分はファンを続けようと思うに至った。貞本エヴァの全巻コレクションも所有し続けるつもりだ。ただ、一つだけ条件がある。それは、「庵野監督がもう二度とエヴァの新作を作らないならば」ということだ。もう、シンジもカヲルくんも辛い目に合わせないで欲しい、彼らには今度こそ幸せに暮らして欲しい…。それが、彼らを長く見守ってきた全国のファンの総意だと思うから。

 

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↑劇場入場時に配付されたアイテム。中には「ネタバレ注意」のキーワードがずらっと並んでいた。

(70分)