同居1ヶ月

妻とアパートでの同居を始めてから、8月2日で1ヶ月が経った。この間は、アパートを中心とした生活への転換や、お互いの考え方・行動パターンの違い、妻の感情の起伏の激しさ等に、戸惑い、翻弄される日々だった。そのため、自分は十分な質と長さの睡眠と心の平安を確保できず、慢性的に少々疲れ気味。今のところは楽しいというより、いつ何が起こるか分からない緊張感に包まれた、「修行のような毎日」だというのが率直な感想だ。平日も休日も関係なくこの状態が続くため、まさに修行という言葉が一番しっくりくる。物理的、時間的、精神的自由がこれほど大きな制約を受け、日々の悩みの種が少なくとも倍増する現実を考えれば、未婚者や離婚者が増えるのもなるほど納得行くし、多くの人から言われたとおり自分の結婚がいささか性急だったことも否めない面はある。こんな状況なので、今のところ、友人や同僚には、新婚生活の実状について特段自分から話すことはしていないし、自分が醸す雰囲気を察してかどうかは知らないが、問われることもないので助かっている。


とはいえ、元々バラ色の新婚生活を期待するようなユートピア思想は持ち合わせていなかったし、地元を離れて一人で全く縁のない土地に移ってくる妻のことを考えれば、妻の主張や行動に合わせて自分が折れるのが筋だと思っていたので、この現実に幻滅なり落胆なりしているということでは全くない。どんな夫婦でも、程度の差はあれ、ぶつかったりすれ違ったりするのが当然だし、結婚までに同棲したりしてお互いの生活実態を知る時間を作らなかったのだから、同居に伴うショックが大きくなるのはどうしたって仕方のないことだ。もちろん、自分がこれまでに作り上げてきた様々なルールや信念を(一時的か恒久的かはさておき)脇に置いて、妻に合わせなければいけないのは、少なからぬストレスではある。それでも、自分とは異なる妻の価値観から、これまで気にもしていなかったことについて考えさせられることも多いし、自分の思い通りに行かないことに対しても大目に見るという肯定的な意味での「鈍感さ」も身に付いてきた気がするので、これが自分にとってネガティブな変化だとは受け取っていない。立ちはだかる困難も、きっと大人になるために必要な「成長痛」みたいなものなのだ。そう思って、現状を変えるための「努力」と、現状に従う「忍耐」を使い分けながら、大小様々な問題と毎日真剣に向き合っている。


以下に、日々の生活の実状と課題に関する具体的な事例を挙げてみる。


(1)家事家事は、特に明確な分担は決めていない。掃除は、基本的にどちらか手の空いているほうが、気付いたときにやっている。炊事(食事)は、平日の場合、朝はトーストやお茶漬け等で手軽に済ませるので作らず、昼食に職場で食べる弁当は朝に二人で協力して二人分を手作り、夕飯は仕事上がりが早い妻が作ることが多いが、自分が作ることもある。掃除も炊事も、短時間でテキパキやろうとする自分と、のんびり時間をかけて丁寧にやろうとする妻とで考え方が違うので、自分は対立を避けるため妻のやり方に口出しや手出しはしないようにしている。妻の目には自分の方が全般的に家事能力は高いと映るようで、それにショックを受けて「私なんか何もやらないほうがいい」と思い詰めることがあるので、特に炊事については妻に自信を持たせるためにあえて関与は最小限にするようにしている。経済学における「比較優位」の考え方から、片方が能力的に勝っていたとしても、二人で分業してやったほうが効率的だし、妻に役割意識を持たせることが家庭の安定にもつながる。一方で掃除は、自分のほうが細かいところを気にするタチなので、今後は徐々に自分が中心になってやるようにしたいと思っている。


(2)休日
以前は、ぎっちりスケジュールを詰め込むのが、休日の充実した過ごし方だと思って実践してきたが、結婚後は休日をできるだけフリーにして、妻と一緒に過ごす時間を確保するようにした。自分としては、できれば外出して上越の色んなところに連れていき、この地域のことを知ってもらいたいと思っているのだが、妻は「何もしないのがいい休日」という考え方があり、健康優良児の自分と違って体調の波もあるため、必ずしも出掛けることに積極的ではない。それゆえ、ほぼ終日アパートで過ごす日も珍しくなく、日中に家にとどまることよしとしてこなかった自分にとっては、出掛ける提案を断られてモヤモヤした気分になることもある。妻もそんな自分を見かねて、「友達を誘ってどこでも出掛けてきていいよ」とよく口にするのだが、それを字面通りに解釈するわけにはいかない。自分が妻を放って置いては、妻がこの地域に馴染んでいくプロセスが進まないし、妻が社会的、精神的に自立できないからだ。それに、妻を一人残して遊んだところで、心から楽しめはしない。だから、隙間時間を作って時々は友人と遊んだり飲んだりしつつも、休日は基本的に夫婦で過ごすことに重点を置くようにしている。


(3)仕事
平日の残業は、これまでのように無制限にはできなくなった。夕飯を帰ってから二人で食べるためにも、遅くとも20時までに帰らなくてはならないからだ。6月末まで月100時間以上の残業や休日出勤を続けてきたので、7月になって外がまだ明るいうちに帰るようになったときにはかなり違和感があったし、仕事が思ったように進まず困ったこともあった。一方で、退勤のリミットが早まったことは、自分が長時間労働を前提に時間をルーズに使うようになっていたことを再認識するきっかけになったし、健康の回復にもプラスに効果した。労働時間の長さに依存せずに仕事の成果を出すには、仕事を効率化する工夫と、仕事の仕組みを変える発想、そしてそれらを実行する努力が強く求められる。自分のスキルや教養を高めるために自ら学び、周帝的に行動することが、ますます重要かつ喫緊の課題になっている


これらのほかにも、個別具体的な事例は多々あるが、キリがないし、挙げ連ねることが生産的とも思わないので、今回はこれくらいにしておく。自分と妻の思考面での最も大きな差は、「人生の長さに対する認識の違い」であろう。自分は、人生は明日終わるとも知れない儚いものだから、やりたいこと、できること、やるべきことを、早いうちに積極的にやったほうがいいし、使うあてもないお金を溜めこんでも仕方ないし、いざとなったらどうにかしてやると思っている。一方で妻は、人生は長いから、そんなに焦って何か行動する必要はないし、長い老後に備えてお金はたくさんあった方がいい、むしろないと不安だと思っている。このギャップは、行動原理の根本に関わるものなので、今後お互いが歩み寄って妥協点を見出していく必要があるはずだ。


いずれにしても、二人での生活はまだ始まったばかりだ。諸々の課題について、せっかちにならず、かといって安易に先送りもせず、そして決して諦めず、ひとつひとつと丁寧に向き合っていきたいと思う。

(40分+120分:8/4、8/7)