宿願

今日は4月1日の人事異動の内示の日だった。正式に通知されていたわけではなかったが、前々からこの日にオープンになるみたいだよという話でもちきりだったので、今日は朝からみなどことなく落ち着かないような、そわそわした空気が漂っていた。自分もその一人で、異動者が呼ばれるのは何時かな、解禁されるのは何時かなとついつい時計を気にしていた。自分は去年の今の時期からすでに異動する気満々でいたので、それから1年間はただひたすら「早く動きたい」ということだけ考えてきた。と言っても別に、今の給与担当という仕事が嫌いなわけではない。細かいことを突き詰めて地道に数字を合わせる作業は、パズルを組み立てる感覚に似たようなところがあって、むしろ、凝り性な自分にはすごく向いているとさえ思っている。しかし、だからこそ、「自分に向いている仕事」に甘んじていたくないという気持ちが異動してきた当初から強かった。所掌する会議も委員会もなく、窓口もなく、電話もほとんどかかって来ず、文章作成能力もほとんど必要とされない。煩雑な業務は多いが、仕事内容は1カ月または1年単位の完全なるルーチンワークであり、新たな課題を課せられることもあまりない。そして何より、規則や法律にがんじがらめになっていて自分の力で仕事の幅や裁量を広げることが出来ない。大学の予算の3分の2を占める人件費、その計算・支給を一人で担うということの責任は確かに重い。ただ、一定の専門知識をほぼ覚えきってしまい、仕事のやり方に慣れ、しかも自分の肌にも合っているとなれば、これほど楽な仕事はなかった。だから、こんな仕事を長いこと続けていたら、ほかの業務では使いものにならない人間になってしまう。そうした危機意識を常に自分は持ち続けていた。だから、丸2年経過した時点で異動するのが自分の希望だったわけだが、その願いは叶わず、今月末で丸3年に達しようとしていた。7人いる同じチームの中で、3年も動いていないのは、自分のほかには別担当の係長が一人いるだけだった。1年で動かされたら問題児、3年経っても動かなかったら能無しというのが世間の相場である。いい加減もう潮時だという思いは日増しに強くなっていた。


動け、動け、動いてよ!・・・とシンジくんのようなセリフを時々心の中で叫びつつ、万一動かされなかった場合のことも考えて、「まあ、なるようにしかならないさ」と自分に言い聞かせて平静を保つ努力をしながら仕事をすること2時間。不意に後ろから声を掛けられた。「ちょっと別室に来てもらえますか。」自分を呼んだのは副課長だった。これはすなわち別室で待つ課長から内示があるということで、この時点で自分の異動は100%確定した。来た、ついに時は満ちた!と自分は内心歓喜したが、周りの人に伝わってはいけないので、顔には出さずに静かに席を立った。別室のドアを叩いて中に入ると、案の定課長が待ち構えていた。イスに座ってテーブル越しに課長と向かい合うと、早速自分が異動になることが告げられた。気になる異動先の部署は、学内の企画部門だった。今の所属部署と同じ建物の同じ階にある、すぐとなりの部署だった。またしても学生との関わりがないところへの配属になり、自分はもうそっち系をぐるぐる回されるのコースに乗せられちゃったのかなぁなんてちょっとがっかりもしたが、何はともあれ異動が決まったことはめでたいことだった。企画部門は組織改組の真っただ中にある今一番アツい部署である。国等に提出する報告書や調査資料を取りまとめるという従来の役割に留まらず、ステークホルダーとの調整だとか、予算の獲得だとか、大学戦略の立案だとか、色んな役割を期待されている。4月から人数が増強されて、担当の割り振りも変わるので、自分がどんな仕事をすることになるのか、そもそも誰から引き継ぎを受けるのかさえ、イメージが付かない。これまで3年もどっぷり給与漬けだったから、まるで毛色の違う仕事に対して不安がないと言えばウソになるが、また新しいことを勉強できると思うと楽しみでもある。変化を前向きに捉えて日々チャレンジしていこうと思った。課長からも、新しい部署で頑張ってほしい、若手のホープとして期待しているという励ましの言葉をいただいた。内示は5分ほどで終了。退室すると、何もなかったかのようなけろっとした顔をして自分の席に戻った。もはや今の担当業務に未練はひとつもなかった。3年前に内示を受けた時の茫然自失の状態とは正反対の自分がそこにいた。これが10時半過ぎのことで、その後人事異動が解禁されたのは、13時だった。


解禁になると同時に、人事異動のペーパーが各係長に一斉に配られた。上司の係長はだいたい予想がついていたようで、特に驚いたふうでもなく、「引き継ぎはしっかり頼む」とだけ言われた。自分の後任は、10歳以上年上の女性の主任に決まった。自分の前任者も主任だったから、やはりここは主任のポストであるらしい。確かに、係員である自分がやるには、重い仕事だとは思っていた。係員と主任の職責の線引きがうちではどうも明確になっていないのが困ったところだ。職員の全体数が少ない上に、係長ばかりでヒラが少ないからやりくりが難しいのだろう。でも350万円(係員の人件費(法定福利費込み)の相場)で出来た業務に、550万円(40歳前後の主任の人件費(同)の相場)をかけるのはおかしいと個人的には感じた。給与担当としてやれることは大体やったが、こうした担当ごとのコスト分析が出来なかったのは自分の能力が足りなかったこととして若干反省している。こうして異動が出揃ったことで、人の出入りにかかる給与関係の作業にようやく本腰を入れて取り組むことが出来るようになった。午後からは他機関から転入してくる人の情報を先方の担当者に照会したり、住民税異動届を起案したりと、定時までモーレツに仕事に励んだ。そして定時後は、他機関に転出する若手の壮行会の企画を急きょ立ち上げて周りの人に声掛けをしたり、今朝の読書会の報告メールを1時間もかけて書いたりした。


給与担当の異動のタイミングとしては、4月1日というのはこれ以上なく最悪である。なぜなら4月給与の計算は、年度替わりで人が大きく入れ替わることになるのでデータ量が膨大になり、1年で最も多忙を極める時期だからだ。とても丁寧な引き継ぎなどやっていられる時間はない。だから自分は9月異動を希望していた。自分が異動してきたのもまさにこの時期だったわけだが、そのときは引き継ぎはほぼなく、また4月給与にはほとんどタッチしなかった。その時はどうしたかというと、定時後に前任者が自分の席に戻ってきて、自分の代わりに作業をしていたのだった。人事給与システムへの入力作業は、操作方法の習熟やシステム構造の理解までに時間がかかることから、どうしても異動日できれいにバトンタッチというわけにはいかない。システムを使える人がほかにいないこともあり、前任者と後任者が一緒に画面を見て作業をやってみながらでないと、伝えられない部分というのがどうしても大きくなってしまう。だから今回も、4月給与は自分を中心に作り、後任者に単独で作ってもらうのは5月給与からということになるだろう。今の上司と、新しい上司に事情を話した上で、了解してもらうしかない。そうした問題を前提として、いかに出来るだけスムーズに引き継げるかどうかというのは、自分の腕の見せ所でもある。困難な中でもあえて「残業ゼロ」を目標に掲げ、給与のプロとして有終の美を飾りたいと思っている。3月も残すところあと来週1週間しかないので、仕事はもちろん仕事以外のこともいろいろとドタバタすることになる。しばらくの間は、腰を落ち着けていられる時間はなさそうだ。

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