電信

今夜、遠方の知人に「今度そっちへ行く機会があるので、よかったら会いませんか」という内容の短いメール1通を打つのに、40分以上を要した。書き終えてから、送信するまでにも数分ほど躊躇。これでいいだろうか、不自然ではないだろうか、自分の率直な気持ちが伝わるだろうか・・・そんなことを考えながら何度もメールを読み直して修正を加えた。そうしてもなお心配を拭いきれなかったが、最後には「ええい、ままよ!」と送信。返事がすぐ来ると心臓に悪いので、PCの画面を切り替えて、間もなくシャットダウンした。今回のものはさすがにやや極端な例としても、自分はメールを打つことそうした迷いを覚えることが多い。口頭だったらさらっと言えることでも、文章だとなかなか表現することが出来ないという壁にしばしばぶち当たるのだ。そのたびに自分は、話すことと書くことは全く別物という事実を強く実感することになる。事務的なメールならもちろん素早く書けるし、ためらいもないのだが、これが感情を込めたメールとなると途端に難しくなる。表現の幅が狭まる分、短いメールを書くことほどかえって難しい。短文で誤解を招かないように必要十分な内容を盛り込み、それでいて書き手個人の「らしさ」を表現することは、言うなれば短歌や俳句を詠むようなもので、極めて高度な技術を要するのだ。だから自分はメールというものが苦手だし、もらうのはともかくとして、書くのは全く好きではない。だから、スマホSNS、特にLINEは全くやる気になれない。ささいなつぶやきを日に何十通もやりとりするというのは、自分にとってはおよそ不可能である。こういったツールが自分の高校・大学時代に存在しなかったのは幸いだったとつくづく思う。これをまともに相手にしていたら、いくら時間があっても足りないのだから。

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