Googleフォト

Googleフォトに画像を事実上無制限にアップロードできるサービスが、2021年5月31日で終了する。それを知ってからというもの、自分はこの期限のことが常に気になり、いついかなるときも心穏やかではいられなかった。なせなら、自分にとってGoogleフォトは、(過去のPicasaの時代からずっと)デジタル写真のクラウド上での整理、バックアップ、共有、閲覧等のツールとして、あまりにも便利であり、ズブズブに依存していたからである。

https://www.google.com/amp/s/k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1322/373/amp.index.html

昨夜は日曜日の夜にも関わらず、25時台まで夜更しをして、過去10年ほどの旅行やスキー等のイベント関係の写真を追加で1300枚ほどパソコンからアップロード&バックアップした。写真はパソコンでフォルダ整理していた単位でGoogleフォトにアルバムを作り管理している。過去のイベントはきちんとフォルダ別に分けて整理しているので、滑り込みでのアップも簡単だった。しかし最近になるほど整理が行き届いていないので、アップが難しくなる。そして、同様にデジカメではなくスマホで撮影している割合が高くなっている。つまりパソコンの中にオリジナルの画像データが保存されていないのである。古い写真については昨夜の作業で(使いそうなものは)ほぼバックアップできたが、今度はGoogleフォトの容量も食うし、スマホからパソコンへのバックアップの方法も考えないといけないだろう。

 

バックアップする写真をパソコンのフォルダから探す過程で、図らずも過去のイベントを振り返ることになり、何だか走馬灯を見ている気分になってしんみりした。自転車にスキーに旅行にとイベントのオンパレードで、5年以上前の自分のアクティブさには今更ながら驚かされるばかりだ。コロナ禍が収束し、子供が大きくなった暁には、またイベントに明け暮れる日が来るのか、来ないのか…。まあ、今考えてもムダなことなので、それはまたその時のお楽しみ、としておくか。

(20分)

 

夏用スラックス2021

5月からクールビズのシーズンがスタートし、中旬以降は半袖シャツでの出勤がデフォになった。そして、スラックスも夏用のものに切り替えた。

 

今シーズンは、6年ぶりに夏用スラックスを2本新調した。AOKIで買ったもので、いずれも色は黒、洗濯可能で、腰の部分に滑り止め加工を追加した。2015年に買った3本(黒、グレー、ベージュ)のうち2本(グレー、ベージュ)は引き続き使用するので、夏用スラックスは「4本体制」になったことになる。ただ、グレー、ベージュはシャツとの組み合わせが限られるので、基本的には黒2本を1日おきに使用して着回すスタイルになるだろう。

 

今回買ったスラックスのウエストは73cmで、今の自分の体型にはジャストフィットの状態だ。しかし買ってからふと考えたのだが、これを30歳代の期間中ずっと、すなわちあと5、6年着続けるとして、その間もこのウエストで大丈夫なものだろうか。加齢とともに代謝機能が衰え、ウエスト周りが自然と太くなる可能性は大いにある。昨年まで58kg程度をずっとキープしてきた体重が、今年に入ってからは60kgを下回ることがなくなってきていることなど、すでにその兆候と思われる状況も見受けられる。せっかく高い買い物をしたこともあるし、このスラックスが履ける体型を維持するための運動の習慣化なり腹八分目以下の食事量の維持なりの努力を続けることが必要だろう。ちょうど最近、職場での昼休みのバドミントンにこれまでになく人が大勢集まっていて盛況でもある(登録メンバーは20人を突破し、コートを3面張る日もある)。これを追い風に、昼に加えて終業後も人を集めて練習するなどもっと負荷をかけ、当面は「体重58kg台の回復」を目標に頑張ってみるとしよう。

 

(30分)

 

 

 

 

イクシゴ論(6)「『育児3大ストレス』に関する考察」

平日は日中の会社でのフルタイム定時勤務と朝晩の育児に忙殺され、休日は家で子供につきっきりで家事育児に専念する。そんな「24時間戦えますか」状態がずっと続き、仕事からも育児からも丸一日解放される本当の休暇は年に2、3日あるかどうか。小さい子供の育児と真面目に向き合っている親は、男女を問わず、きっとそうした日々を送っていることだろう。自分はまさに、そうした戦場の真っ只中にいる。

 

これを続けるには、身体面での体力が必要なのはもちろんのこと、精神面においても相当な気力、具体的には「前向きさ」を保持することが欠かせない。体は丈夫でも、心が折れてしまっては、到底健全な育児は出来ないし、仕事で結果を出すことなど期待すべくもないからだ。だが、自分の感覚から言うと、日本の育児においては、親が抱えるメンタル面でのストレスをケアするための支援という観点が弱く、育児ストレスの改善が個々人の努力に委ねられている印象がある。そして、その根底には、「育児は大きなストレスを伴うものである」という認識が日本社会において希薄であることが、大きな問題として横たわっているのではないかと思う。日常的に育児に関わることのない人々、すなわち過半数以上の国民が、乳幼児を持つ親が育児を好きでやっている、楽しくやっているというイメージを抱いているとしたら、そこから子育て世代への支援という発想は生まれてこないからだ。だが、育児は趣味ではなく仕事である。楽しかろうが、辛かろうが関係なく、毎日続けなくてはならないものだ。


ではそもそも、育児において何がストレスの原因になるだろうのか。様々な要素が考えられるが、自分が最も大きな影響を受けていると感じる原因は、この3つに集約できる。

 

(1)常にKY(危険予知)をしなければならないこと

KYとは、建設工事などの現場で労働災害を防止するために遙か昔から使われてきた言葉で、「危険予知」の略である。クレーンから鉄骨が落下してくるかもしれない、突風にあおられて足場から転落するかもしれない…といったように、何らかの要因で自分や周囲に起こりうる危険を予測して、アクシデントを未然に回避するための安全行動を取ることを指す。このKYの視点の重要性は、小さい子供の育児にも全くそのまま当てはまる。子供と自宅の部屋で一緒にいるとき、親は、子供が転んでテレビ台の角に頭をぶつけるかもしれない、床に落ちているボタンを口に入れて飲み込むかもしれない、包丁を使って料理している最中に突然抱きつかれるかもしれない…といった「かもしれない」思考を常に働かせている。そのため、包丁の刃先だけでなく子供のほうにも注意力を傾けたり、事前に角を保護するクッション材を買って取り付けたり、床に落ちているものを拾ったりといった具合に対策を講じる。あるいは家の中で別々の部屋にいるときも、このドアを開けたら子供がいるかもしれない、と予測して、ドアを勢いよく開けないように気をつけないといけない。また、屋外を散歩しているときでも、三輪車に乗っている子供が田んぼに転落するかもしれない、いきなり走り出して道路に飛び出すかもしれない、などとあらゆる危険パターンをシミュレーションしなければならない。このKYシミュレーションのために、常に脳内の50~60%くらいのリソースが割かれているといっても過言ではない。残りのリソースで、家事だとか仕事だとかのことを考えているから、休日でも頭の中が休まることはないし、家の中でぼけーっとすることなど出来ようはずもない。趣味で気晴らしでも出来ればよいが、そもそも子供と離れる時間を作ることができないので、趣味の時間は作れない。そのため、絶え間ないKYによる緊張が徐々に心をむしばみ、ストレスが雪だるまのように大きくなっていくことになる。

 

(2)周囲からの共感の欠如

育児に関して認識違いをしている周囲の人々のトンチンカンな言動もストレスの原因となる。例えば、育児がすっかり過去のことになり、記憶が消去あるいは美化されているジジババ世代に対して、3歳の子供がいると説明すると、まず十中八九返ってくるのが「かわいいでしょ」といった類いの言葉である。確かに自分の子供はかわいいと感じるし、それは当然否定はしない。だが、この言葉を発する人たちの眼中には、子供がいることで自分の時間や行動が制限されること、育児が日常であることの非日常さ、大変さという視点が欠如している。たまに帰省する孫と遊ぶくらいしか子供と接する機会がないのであれば、そこに思いが至らないのはある意味自然なことだ。特に、働き盛りの頃に共働きで三世代同居だったジジババ世代だと、自分の子供の世話を自分の親(つまりヒイジジババ)に任せきりで子育てにあまり関わってこなかったというケースもありうるから、こうした世代の相互理解は一層難しくなる。それが他人なら誤解と無理解にも諦めもつくが、自分の親がこのケースとなるとそうも行かない。自分で育児を何も手伝わない、お金も出さないくせに、「孫を連れて来い」ということばかり頻繁に声高に執拗に要求してくる。自分の子供の世話もロクにしてこず、孫の育児のサポートにもノータッチのくせに、孫と遊ぶうまみだけ味わおうとは、何と図々しいフリーライドだろうか。そこに今の自分は心底腹を立てている。そのため、実家は車で10分の近所であり個人的な用ではほぼ毎週顔を出すが、子供を連れて行くのには断固抵抗し、年数回だけに留めている。その数回も、目的は自分の祖父母(ヒイジジババ)にひ孫の顔を見せることであって、できるだけ自分の親が不在の日を選んで行っている。こうした育児の大変さへの共感のない、話しても伝わらない人々から受けるストレスは小さくないのである。

 

(3)パートナーの価値観との対立

そして、もう一つのストレス要因は、パートナー(自分の妻)との価値観の対立である。具体的には、子供への教育に対する考え方のズレ、旧来的・保守的な考え方への固執ということが挙げられる。例えば、つい先日の事例なのだが、子供が「仮面ライダーのパンツが欲しい!」といったので、自分は子供用品店に買いに行くことにした。しかし妻は「女の子は仮面ライダーなんかダメ!プリキュアとか女の子らしいものにしなさい!」の一点張り。子供が欲しいといって泣いても、絶対に認めようとしなかった。家ではこの問題に決着がつないまま、翌日お店まで行ってみたところ、女の子用の仮面ライダーパンツがなかったのと、子供自身がネコの描かれた「女の子らしい」パンツを自分で選んだので、最終的に今回は妻の「勝利」に終わった。女の子用の商品にライダーがなかったのが世間一般の「常識」をわかりやすく象徴しているとおり、妻は「女の子は女の子らしくあるべき」という旧来型のジェンダー観に何の違和感もなくどっぷり浸かっている。そこが、「らしさなんか関係なく、子供が好きなものを選ばせるべき」という自分の考え方と真っ向から対立していて、事あるごとに衝突することになる。子供の世代に古き悪しき価値観を植え付けないことが自分の親としての使命だと思っているのに、子供から最も近いところにそれを阻む「ラスボス」がいるというのは皮肉という他ない。この果てないラスボス戦への消耗もまた、ストレスとなっている。

 

このように、育児には多くのストレスが立ちはだかっている。しかし、子供の存在自体がストレスという訳では毛頭ないし、子供が言うことを聞かないのがストレス、という発想は自分にはない。子供が親の言うことに従わないのは自然であり当然のことだ。自分もああしろこうしろと言うことは言うが、従わないからといって怒ったりは基本的にしない(ただし、「子供に甘い!」と批判する妻へのパフォーマンスとして怒る振りはする)。こうしたストレスとうまく付き合っていくための試行錯誤を続けるうちに、いつの間にか子供は大きくなって自分の手を離れていくものなのかもしれない。

 

(140分)



雪山の無い冬

今年の冬には、2つの異変があった。

 

一つは、35年ぶりの積雪量を観測した記録的豪雪だったこと。12月に積もった初雪がそのまま根雪になって3月まで残ったのは、本当に久しぶりのことだった。

 

そしてもう一つは、スキーを1回も滑らなかったことだ。シーズンを通して一度もスキーをしなかったのは、社会人になってからの10年で初めてのことだった。理由は色々とあった。最も大きかったのは、育児があるので土日に自分の時間が取れなかったこと。そのほかにも、唯一のチャンスだった振替休日の日に天気が悪く、行くのを諦めてしまったこと、コロナ禍で心が沈んでしまい、一人で「スキー場まで行く」ためのエネルギーが湧かなかったこと(スキーをしたい気持ちに面倒くささが勝ってしまった)、などが原因だ。せっかく実家から引っ張り出したスキー道具も、使わずにそのまま片付けることになってしまった(ただしスキーウェアは雪かきにも使ったのでクリーニングに出した)。

 

そんなわけで、雪はたくさんあったのにスキーに行けなかった今シーズンは、「雪山の無い冬」となった。冬の最大の楽しみだったはずのスキーができなかったのは、何とも味気なく、残念でならない。桜が散った今でも、冬が終わったという実感がなかなか湧かないほどだ。とはいえ、スキーの趣味をこれで終わらせるつもりは毛頭ない。来シーズンこそはスキーを復活させるため、心のエネルギーの回復とイメトレ、そして土日の行動封鎖をひっくり返す切り札となる「子連れスキー」の実現に向けて頑張っていきたい。

 

(25分)

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||

今日は午後から半休を取り、3、4年ぶりに映画館へと向かった。目的は、3月8日から公開された映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を鑑賞することだった。

 

多忙と混迷を極める年度末の業務から無理矢理エスケープしてまで、平日の真っ昼間に観に行った理由は、まず平日日中でないと3時間近いまとまった時間を自分のために確保するのが困難であるため。そして、早く鑑賞しないと、いつどこで誰にネタバレされるか分からないという不安に駆られたためだった。公開からのこの一週間というもの、テレビを見るのも緊張を強いられたし、ネットも仕事以外では使わないようにして、エヴァ関連のネタバレ情報を遮断すべく苦心してきた。特にネットのニュースサイトなどは絶対にご法度だ。なにせ、前作「Q」から数えること8年半ぶりの新作にして、完結編である。キャッチコピーも「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」ときたもんだ。うっかり重要なことを目にし、耳にしてしまったら、これまで待たされた時間を棒に振りかねない。その心理は多くのエヴァファンにとって共通するものだったらしく、「ツイッター封印」とかなんとかいう言葉がトレンドワードになったらしい。しかし自分にしてみれば、ネットにそんなワードをつぶやく時点でネットを遮断できていない証だ。なので、本当のファンは一切レスポンスをしないか、あるいは公開初日に真っ先に観に行ったと思われる。

 

自分は一応これまで、貞本義行のコミック、テレビアニメ、旧劇場版、新劇場版と、オリジナルの全作品を観てきたし、エヴァとの付き合いも大学生時代から始まってかれこれ14年くらいになるのだが、しかし完結編となる本作の公開をそこまで待望していたわけではなかった。理由はたぶん、ファンの半分くらいには理解してもらえると思うのだが、第一に「Q」の公開時点で「このシリーズは「破」という素晴らしい作品をもって見事に完結した」と自己暗示せざるを得なかったこと、第二に庵野秀明監督の製作スピードからすると「今世紀中の完結は困難ではないか」と半ば本気で思っていたことによる。

 

で、ここからが鑑賞後の感想だ。念のため、未鑑賞の人にはネタバレを警告しておく。

 

率直にいうと、「やはり「破」は本当に素晴らしい作品だった。劇場に2回観に行った価値はあった。あれは見事な完結編だったね」という一言に尽きる。物語は、始めるより終わらせるほうが難しい、とはよく聞く言葉だが、本作ほどそれをまざまざと体現している例はほかにあるまい。前半は、「あれ、俺はジブリ映画を観に来たんだっけか」という錯覚に襲われるややほのぼの展開だったのが、後半は旧劇場版のそのまんまリフレインのような精神世界に深く入り込んでいき、観ている途中からぐったり疲れてしまった。そして、誰もが危惧しつつ、しかしやっぱりそうなるしかないよなと納得せざるを得ない、案の定な結末。まあ、庵野監督も辛かったろうな、おつかれさま、もうこれからは特撮でもなんでも好きなことやって、エヴァの呪縛から解放されてください…そんなふうに監督(総監督)に感情移入してしまうほかなかった。…とまあ、作品の内容そのものに対してはコテンパンな評価しかしようもない感じなのだが、エンドロールの最後の最後に宇多田ヒカルの「Beautiful World」のアレンジバージョンが流れたことで、新劇場版:破までの希望ある時代の感情が蘇ったのは実によい演出だったし、アスカがワンダースワンみたいなゲーム機で「グンペイ」をプレイしていたり、分かる人にだけちょっと引っかかる小ネタが色々織り交ぜられてたのは面白いと感じた。何より、「これでやっと終わった」という解放感が、「終劇」後にはある種の心地よさとして残った。どんな結末であれ、ファンとして、エヴァの最後は見届けなけば、死ぬに死ねないと常々思っていた。その呪縛から、自分自身もようやく解放されたという意味で、今日は「新たな旅立ちの日」といってもよい、記念すべき日となった。

 

エヴァファンをこれからも続けるかどうか、鑑賞前はフィフティフィフティだった。だが、「シン・エヴァ」が結果的に「破」の絶対的価値を際立たせたことで、自分はファンを続けようと思うに至った。貞本エヴァの全巻コレクションも所有し続けるつもりだ。ただ、一つだけ条件がある。それは、「庵野監督がもう二度とエヴァの新作を作らないならば」ということだ。もう、シンジもカヲルくんも辛い目に合わせないで欲しい、彼らには今度こそ幸せに暮らして欲しい…。それが、彼らを長く見守ってきた全国のファンの総意だと思うから。

 

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↑劇場入場時に配付されたアイテム。中には「ネタバレ注意」のキーワードがずらっと並んでいた。

(70分)

あの日から

2011年3月11日の東日本大震災の発生から丸10年の節目を迎えた。地震津波そして原発事故と、大規模かつ複合的な災害が次々に起こり、自分の世界観が一気に塗り替えられるほどの衝撃を受けた出来事だった。あの日の14時46分を境に何もかもが変わったといっても過言ではない。テレビで延々と報じられる甚大な被害の映像と、時間の経過とともに増え続けるおびただしい犠牲者数に圧倒された自分は、まるで異次元空間に放り込まれたような気分に苛まれ、もはや永遠に以前の日常は戻らないのではないかと本気で考えていた程だった。そのショックをきっかけにして、その後、被災地復興への支援について、自分は信念を持って取り組むようになった。2012年、2013年と宮城県津波被災地を訪問し、更地になった石巻市の市街地跡を実際に歩いたりして被害の爪跡を目に焼き付けたほか、被災地の東北3県の産品をネット通販で毎月買う活動も5年間続けた。震災に関するNHKのドキュメンタリー番組や書籍にも積極的に目を通した。そんなふうにして、被災地に心を重ねることを強く意識してきたつもりだった。

 

しかし、10年の歳月は、そうした鮮烈な記憶や強い信念さえも、いつしか忘却の彼方に追いやってしまった。津波の映像を見たり、犠牲になった人たちのことを考えたりすると今でも胸が苦しくなるが、日常生活の中でかつてのような被災地への思いを取り戻すことは難しくなってしまっている。被災地も、自分自身も、状況は少しずつ、確実に、日々変化していく。記憶と思いの風化は、どうしても避けられない事実だ。

 

だからこそ、今改めて胸に刻みたいことがある。それは、災害はいつ自分の身に降りかかるかわからない、明日は我が身なのだ、という危機意識を持つことの大切さ。そして、万が一自分と家族が被災したときに身を守るための備えと、そのときに周りの人にも手を貸せる強さを持つことの大切さである。震災を過去として振り返る限り、どうしたって風化は進む一方だ。それよりも、常に次の災害に目を向けて、「自分ごと」としていざというときに取るべき行動を考え続け、備え続けるほうが、建設的で理に適っていると言えるはずだ。そして、そうした思いと行動を一人ひとりが積み重ねることこそが、社会全体の防災、減災につなげるための近道にもなるのだと思う。

 

節目節目に過去の多くの震災の被害に思いを馳せ、その教訓に学びつつ、視線はしっかりと前に向ける。そんなスタンスを基本とすることを再確認して、自分の「3.11」から10年の心の区切りとしたい。

 

(50分)

子どもの体験

夜明けとともに雲ひとつない晴天が広がった2月最終日にして日曜日の今朝、自分は前日から考えていたある作戦を実行した。それは、子どもを早朝のうちに屋外に連れ出し、「しみわたり」を体験させることだった。

 

しみわたり(凍み渡り)とは、この辺りの方言で、「夜間の低温によって固く凍った雪の上を、昼間にかんじき等の道具を使わずに歩くこと、あるいは足が埋まらずに歩ける状態に雪が凍る現象」(自分の解釈)を指す。この現象が起こるためには、①前日から当日朝までずっと晴れていること、②昼夜の寒暖差が大きいこと、という気象条件が必要になる。これにより、前日の昼間に日差しで溶けた雪の表面が、夜間の放射冷却で氷点下まで冷えて凍結し、翌朝には大人の体重でも足跡が残らないほど固くなり、雪上を普通の靴でも歩けるようになるというわけだ。この条件が揃いやすいのが2月下旬〜3月上旬くらいのちょうど今頃の時期で、それが今回たまたま土日に重なったのである。自宅の周囲の田んぼにはまだ1m近い積雪が残っており、辺り一面に雪原が広がっている。この上を自由に歩けるようになる驚きと楽しさ、爽快感を、子どもにもぜひ体験させたい。そう思って、午前8時頃、子どもを連れて外に出たのだった。

 

前日のうちに雪を削って作っておいた階段を上り、まずは自分で雪原の上に踏み出してみた。予想通り、雪はカチカチに凍っており、ジャンプしても全く沈まないほど、頑丈な「床」に変化していた。そして大雪が残した大量の雪が大地の凹凸を覆い隠しているおかげで、グラウンドのように平らな雪原がどこまでも広がっていた。雪原と青空に挟まれた妙高山の輝きがいつにも増して眩しかった。早速、3歳の子どもの背中を支えて階段を上らせ、雪原に立たせてみた。最初は恐る恐るだったが、自分が先に雪原に進んで、歩けることを示してやると、すぐに後を着いてきてはしゃぎ始めた。そして喜び雪の上を駆け出して行った。こうして作戦は見事成功し、しみわたりという雪国ならではの自然現象と、その楽しさを子どもに体験させることができた。ただし、すでに日は高く上ってきていたが、雪上を吹き抜ける風は予想以上に冷たく、またあまり遠くまで行くと雪の下に隠れた側溝や水路に穴が開いて落ちる危険もあるので、今回は10mほどの範囲を5分程度歩くだけに留めておいた。

 

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せっかく雪国に暮らしているのだから、雪国でしかできないこと、雪があるからこその楽しみというのを体験しなければ、もったいないというものだ。雪をただ単に邪魔者扱いするのは、健全な付き合い方とは言えない。そうした自分の信念もあって、子どもにしみわたりを体験させるのは、以前から自分の大きな目標の一つになっていた。20年以上前、自分の小学生時代には、しみわたりは冬季の当たり前の現象だったし、隣の集落まで田んぼの上や雪で塞がれた水路の上さえも突っ切って歩いていけるのが楽しくて仕方なかった。それが最近では、年々少雪の傾向が強くなり、真冬でもほとんど雪が積もらなかったり、しみわたりの季節が来る前に平地の雪が消えてしまったりして、全く雪国らしくない冬が増えてきていた。そのことに、強い違和感と危機感を覚えてきた。だから、子どもに自分の幼少期と同じ体験をさせ、雪国の「文化」を継承することには、非常に意義深いものがあった。

 

自分が子どもだった当時は、子ども同士で遊ぶ中で様々な知識や体験を自然に身につけたものだが、今は少子化核家族化が進んでいるし、アパート暮らしでは地域との繋がりもないので、幼児の学びのきっかけは親か保育園かにほぼ限られる。そうしたことからも自分が子どもに積極的に体験の機会を作ってあげること、子どもが学ぼうとする場面にしっかりと寄り添い見守ることが一層重要なのだと思う。これからも、子どもと一緒に色んな体験をし、それを自分自身でも楽しみながら、続けていきたいと思う。

 

(85分)