抱負2020

新年、2020年が始まって早10 日が過ぎたが、年が明けたという実感はない。今年はオリンピックパラリンピックイヤーだが、そのことを考える余裕も今のところない。当然ながら、ブログを書く余裕はもっとない。理由は、育児と仕事で日々身の回りのことにいっぱいいっぱいで、一日一日を乗り切ることしか考えられないから。育児は子供の成長を実感できてうれしいこともある反面、大変でつらいことも多いし、何より多大な時間を必要とする。でも職場はそんなことを一切考えずに回っている。育児しているとしていないとに関わらず、ポストに応じて勝手に業務が割り振られる。だから仕事に無理が生じて、それが育児に影響しないようにするために大変な困難を強いられる。なのに、頑張って頑張って定時退勤を継続すればするほど、同じ量の仕事を残業してやっている周りの同僚との給料の差は開き、残業代分を「損する」状態が無視できなくなる。それ以外にも、職場でのコミュニケーション不足や、業務外の行事への参加困難、新しい仕事への取組が困難になることによるモチベーション低下など、問題点は挙げたらきりがない。そうした矛盾への不公平感や不満感が、ありとあらゆる場面で、ありとあらゆる形で噴出し、憤りを募らせる毎日だ。 

 

そんなふうに、世間に対して言いたいことは山ほどあるのに、それを訴えるための時間すら取れないのは非常に苦しい。現状を変えられなくても、せめてそれを訴えるだけでも、心は少し軽くなるはずだ。とりわけ、育児と仕事をどちらもフルタイムでやっている男性が実態を語っているブログ等は少ないと思う(去年書籍化もされた主夫(シュフ)のブログは自分もよく読むが、微妙に自分の気持ちとはすれ違っている部分がある)から、自分が語る価値は小さくないはずだ。それを、どうにかこうにか時間を捻出して、少しずつ、こまめにここに書き込むことを、今年の抱負にしたい。自分のモヤモヤの改善と、世間の仕事と育児に悩む男性への理解促進に、少しでも役に立つことを目指して。

 

(20分)

飲み会インポッシブル

12月といえば忘年会シーズン、会社の飲み会では同僚みんなでどんちゃん騒ぎ・・・というステレオタイプなイメージは、もはや過去のものになりつつあるようだ。今月、トレンドワードになった「忘年会スルー」なる言葉が、会社の忘年会を忌避し、欠席したいと思っている、あるいは実際欠席している人が少なくないことを世間一般に印象付けた。だが、自分はこの言葉や、その使われ方を知って、正直なところ、かなり強い違和感を覚えた。それは、「会社の飲み会を時間の無駄と捉える人が増えた」「定時後の時間を会社の付き合いに充てたくない人が増えた」といった論調・分析ばかりが目立ち、「参加したくても参加できない人」「参加できないことを心苦しく感じている人」の存在を考慮したようなニュース記事やブログ記事等が検索上位にほとんど見当たらなかったからだ。


自分がまさにその典型だと思うのだが、乳幼児期の子育て中の親は、子供の夕食、遅くとも入浴までには必ず帰宅しないといけないので、基本的に飲み会には参加できない。飲み会はたいてい18時半から始まるが、18時台は子供の夕食の時間帯に当たるし、19時半には入浴を始めないといけないから、飲み会の開催時間帯がもろに育児のコアタイムと重なってしまうのだ。最悪、夕食だけなら片方の親がいれば済ませられるが、入浴は二人がかりがマストである。したがって、育児に主体的に参画する限り、飲み会は欠席するか、最初の30分程度だけ顔を出して途中退席せざるを得ない。自分は子供が生まれた2年前から途中退席をデフォルトとしてきたが、今年度に入ってからは欠席がデフォになった。車ですぐ帰る&子供を安全に風呂に入れるためにアルコールを飲まないし、場の盛り上がりに欠ける最初の30分だけいてもいまいち楽しめないし、食事もろくすっぽ食べられない(出てこない)から、会費負けも甚だしい。それに、職場は10年近い付き合いの人たちばかりなので、飲み会に出ると出ないとで、何か影響が出るような気を遣う関係でもない。そうなると、次第に飲み会から足が遠ざかってしまった。今年度は課の飲み会に今のところ、まだ1回しか参加できていない。当然、出たのは最初の30分だけである。家庭は仕事の100倍以上大事なので、妻にワンオペ育児をさせてまで飲み会に最後まで参加することはあり得ない。


ただ、自分はこの状況を決して好ましく思っている訳ではない。飲み会はどちらかといえば好きな方だし、かつて職場の若手のリーダー格(という表現をすることを恥ずかしく感じるほど、今は年も取ったし、存在感も低下しているが)を担っていた頃は、積極的に幹事を買って出て、色んな飲み会を企画していたから、飲み会には出来るだけ大勢が参加できたほうが盛り上がるということも分かっている。特に自分の所属部署以外の人たちが集まる飲み会(職場のバドミントン部の懇親会や夏祭りの打ち上げ等)には刺激を受けることが多いので、自分も可能であれば参加したい。たまにはパーッと楽しんでみたい。でも、やっぱりどうしても参加できない、このもどかしさ、せっかく誘われても断らざるを得ない、この心苦しさ・・・。育児や介護をしている人なら共通で感じているはずのジレンマについて、ネット上のメディアで正面から踏み込んだ言説が見当たらなかったことが、自分の違和感の原因であり、不満であった。「忘年会スルー」の言葉の裏側には、スルーから直接連想される行動を取る人たちのほかにも、自分のような人たちが相当数いるはずなのだが、世間的には一顧だにされない程度の存在でしかないのかと思うと残念だった。ただ一方で、スルー(気にしない、無視)という言葉である以上、そこまで深読みすることも難しいかもしれないし、そもそもこの言葉の対象とする範囲ではないのかもしれないという思いもあった。この言葉を使って自分が置かれている状況を説明するのは、どうにもうまく行きそうになさそうに思われた。


繰り返しになるが、家庭は仕事より遙かに大切である。会社はいつか無くなるとしても、家庭は一生ものだ。自分としては、異動1年目で毎日定時までに仕事を切り上げるという非常に困難なタスクに立ち向かい、職場を出て駐車場まで向かうときも常にダッシュして1分1秒の時間を削りながら、平日も休日も関係なく育児に全力を注いでいる。いくら飲み会に参加したい気持ちがあっても、全力の育児の前に、その気持ちが勝ることは出来ない。つまり、自分は忘年会や飲み会を「スルー」しているのではなく、飲み会に参加することがどうにも「不可能」なのである。自分を始め、多くの人が抱えているであろうこの状況をもっと理解してもらいたいという思いから、自分はこれを勝手に「飲み会インポッシブル」と名付けることにした。だからどうしてくれ、という要求がある訳ではない。とにかく、ただそういう事情なのだと理解をしてもらうだけで十分だ。その上で、飲み会ポッシブル(参加OK)な人たちには、健全な飲み会文化の発展と、居酒屋の経営の存続のために、もっと頑張ってもらいたいと願っている。いつか子供がずっと大きくなり、自分の世話を必要としなくなって、自分がそちら側に復帰できる時が来る、その日まで。

(60分)

スライム絵本

2歳の子供が今、ドラクエのモンスターの「スライム」にどハマリ中だ。自分がこれまでに主にプライズで集めたスライムグッズに囲まれて、楽しそうに遊んでいる。リビングでははぐれメタルのお掃除コロコロローラー、お風呂では黄色いスライムのゴム人形、寝るときはスライム柄のブランケットといった具合である。お絵描きボードで遊ぶときも、スライムを描いてとせがまれるので描いてあげると、自分でスライムの目や口を塗りつぶしたりして喜んでいる。ドラクエ好きの自分としては嬉しい限りだ。おもしろいのは、最初に青いスライムを見せたときには「こわい!」といって大泣きしたのが、少し経ったら自分から近づいて遊ぶようになったことだ。今では「スライムさん!」と呼んですっかり親しい中となっている。子供の好奇心の旺盛さ、変化と成長の早さにはいつも驚かされる。


そんな子供の喜ぶ顔を見たくて、今年はドラクエの絵本を2冊、クリスマスにプレゼントした。

スライムぴぴぴ (0・1・2さいの絵本)

スライムぴぴぴ (0・1・2さいの絵本)

ドラゴンクエストあいうえお

ドラゴンクエストあいうえお

今年9月に発売したばかりのスクウェアエニックス公式のグッズである。今は2冊のうち0〜2歳向けの「スライムぴぴぴ」に夢中になっていて、1日に何回も読み聞かせをせがまれている。スライムの絵とカクカク、ギザギザといった擬音語・擬態語が楽しいようだ。キングスライムが登場するページだけ折りたたみになっていて広げると巨大になるというギミックもよくできている。もう1冊の「ドラゴンクエストあいうえお」は五十音を学べる内容で、もう少し大きい子供向けなので、まだしばらく出番はなさそうだ。


スライムをきっかけに子供がドラクエ自体にも興味を持ち、いずれ一緒にゲーム本編をプレイできる日が来ればいいな・・・。そんなことを期待しながら、スライムと遊ぶ子供を見つめ、育児に奮闘する日々である。

(20分)

pomera(ポメラ)処分

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2009年1月に購入したキングジムのデジタルメモ「pomeraポメラ)」DM10を廃棄処分することにした。09年当時の購入価格は24800円、落下してキーボードを破損し、同年10月に有償修理した際の修理代が約14000円だから、トータル4万円近くも投資した、超高額な「メモ帳」である。本当は継続して使うか、あるいは売却するかしたかったが、数年ぶりに箱から出してみたところ、経年劣化で生じた加水分解で本体表面がベタベタの状態になっていた上に、本製品の命であるキーボードのヒンジ部分が破損してしまっていて、キーボードを打つこともままならない有様だった。外箱、取扱説明書と一式で「ジャンク品」としてヤフオク!に出品することも考えたが、二束三文の値段にしかならず、自分が出品・出荷する作業の手間賃(=機会費用)のほうが高く付くのは明らかだった。それで、廃棄せざるを得ないという結論に至ったのである。

 

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↑表面は天板とキー部分以外すべてベタ付いている上、写真右下のヒンジが使用不能に。

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とはいえ、このポメラ、個人的な思い入れは相当強いものがあった。確かPC雑誌か何かの記事で紹介されていたのが最初の接点だったと思う。ネットにも繋がらなければ、電子辞書機能もない、付加機能と言えばせいぜい時計がついているくらいという、当時多機能を競っていたガラケーの正反対ともいえる「単機能」を追求したコンセプトに、強く衝撃を受けたのを覚えている。その後のシリーズ展開で色々機能付加も試みられたようだが、初代のDM10は純粋な「メモ帳」で、記録魔の自分のために開発されたかのような尖ったガジェットだった。

 

現在、データとしてパソコンに残っている、ポメラで作成されたテキストファイルは、約80点。そのうち、09年1月~11月の間に作成されたと思われるものは70点で、この期間に利用が集中しており、2010年以降はほとんど使われなくなっていた。09年は自分が大学3年生から4年生だった時期であり、この1年間に自分はポメラを日常的にバッグに入れて携帯し、非常に濃くヘビーユースしていた。日記として、読書メモとして、授業ノートとして、面接対策の自己分析として、何でもありの落書き帳として、ポメラは非常に便利だった。残されたテキストの数々には、就活まっただ中の当時の鬱屈とした心境や怠惰な生活がありありと見て取れる。特に、ある意味での白眉と言えるのは、日記として残されたテキストだ。以下にその一例を挙げてみよう。

 

 2009年5月13日

俺が明後日の初めての面接について不安を語ったことを発端に色々話した結果、Y氏を面接官にして模擬面接をすることになった。18時まで勉強、夕食は○○屋で結婚だとか子供にはどう教育を施すかだとか、現状から将来のことまで結構色々話をした。俺はこういう系は今まであまり考えたこともなかったし、具体的な願望は抱いてなかったんだけど、Y氏はかなり熱心らしくて、俺が女に全然興味ないっていうことを述べると驚くと同時に、就活終わった後は俺を改造して合コンするだとか言い出した。何度も言うからには結構本気なのかもしれない。俺は婚活なんてまだするとは決めてないからな。19時過ぎから、流れで21時過ぎまで、××というカラオケで模擬面接をした。といっても実質面接のことをテーマにやりとりしていたのは1時間で、本当の面接のつもりで俺が話してたのは15分くらいだったんじゃなかろうか。初っぱなの志望動機から色々だめ出しされて、具体的なテクニックだとか、話す内容における着眼点、心構えとかを、随時面接を停止しながら教えてもらったので、2月のときのような、実質的な面接形式でのものではなかった。しかし、やってみて声一つでもすごく難しいということが分かったし、なぜその会社でなければならないのか、その会社で自分をどう役立てうるかということを、経営理念に絡めて全ての言葉の結論に込めるというのは、全くごもっともでなるほどと感じるばかりだった。やはり実際内定を受けている人の言葉というのは、説得力がある。俺も早く、「向こう側」の一員になりたいものだと強く思った。そのほうが勉強も心おきなくできるし、面接の自信にもつながるからな。終局的な目標である、俺の場合はJ市、彼の場合はU市の志望動機にお互い迷っているというのは、やはりみんなそうなんだなと思った。市役所の動機というのは警察や民間企業に比べイメージしにくい。何で目指すのか不明確なのにそこを目指そうとしているのだから、やはり公務員志望と言うのは順番が逆転している。Y氏からは、しゃべる内容はだいたいOKだから、あとは声がしっかり出るように注意すればいいだろうと言われた。俺はしかし内容にも不安があったし、彼のようにアドリブでうまく切り返せないから、質問の半分を占めるという、「思いがけない質問」に不安が残った。またゼミのことや改変誇張サークル経験についてもあらかじめ骨組みをまとめる必要性を感じた。総じて、思った以上に困難で、準備が必要なことであるという思いを強くした。そして明後日のこと、明日の夜のことを考えると不安だな、という思いが残った。

一部伏せ字にした以外は原文ママの日記である。あまりにも赤裸々すぎて、載せるのはどうかと少し迷ったが、当時の自分の頭の中や、友人とのやりとりがここまで詳細に残っているのは、自分史上において歴史的な価値があると思ったので、そのまま掲載した。自分に全く自信がない、自己否定の塊のような当時の自分と、承認欲求皆無の状態の今の自分との彼我の差に驚くとともに、10年という歳月の重みをひしひしと感じるところだ。あと、Y氏には当時非常にお世話になったということをこの日記から再認識したので、こんな場で恐縮だが、改めてお礼を申し上げたい。

 

そんな感傷も味わいつつ、思い入れはありながらも、やはりこのポメラはもう使うことができないので、お別れせざるを得ない。大切な、多感な時間をともに過ごした生き証人が、また一人、いや一台、遠い存在となる。寂しくはあるが、しかし、それより感謝の気持ちのほうが大きい。ポメラのおかげで自分は身軽になることができた。記録は逃げない。だから、当時の出来事も感情もすっかり忘れて、自分は自由に生きることができた。そしてこれからも、前に進むことだけ考えて生きればいいのだから。

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(60分)

ある日のテーマ曲 その1

ある朝、2日前の夜にした夫婦喧嘩の怒りがようやく収まったのを妻の言動から察して、ずっと抱えていた胸のわだかまりがすっと消えたのを感じ、ゴミを出そうと玄関のドアを開けたら、雨上がりのきれいな青空が視界いっぱいに広がっていたときのテーマ曲。

 

NEON GENESIS EVANGELION Ⅱ「 When I find peace of mind」

https://music.apple.com/jp/album/when-i-find-peace-of-mind/258922473?i=258922978&uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablog

 

「音楽は心の貯金です」というのは、すぎやまこういち先生の言葉だ。自分が大好きな言葉でもある。人生の節目や、ちょっとした日常の出来事の場面で、ふと心の中で音楽が流れ、自分を励まし、勇気づけ、寄り添い、癒やしてくれることがある。そんな心の中でのBGMを、人生の一場面を彩るテーマ曲として取り上げてみたい。

 

(10分)

取捨選択 その5

 
9月にPerfumeのベストアルバム「Perfume The Best "P Cubed"」を「2枚」買った。特典DVDが付属する初回限定盤だ。保存用と普段聴く用に1枚ずつ、という訳ではなく、7月に予約注文していたことを忘れて、発売直前に再度注文してしまったことが原因。ネット通販は便利だが、あまり手軽に買えるせいで買った記憶が希薄になるので、稀にこういうミスも誘発する。


これまでは、具体的には社会人になってからのこの10年ほどは、 こんなふうに、自分の好きなアーティストの新譜が出たら、シングルだろうとアルバムだろうと、PVや評価も見ずに即決でCDを予約注文するのが慣例となっていた。CDは、 購入直後にPCにデータをリッピングして、できるだけビットレートを高く設定したMP3(音楽ファイル)に変換し、以降はiPodやPC上で音楽ファイルを再生して楽しむ一方、CD本体は実家の本棚に保管されたまま、以後ほぼ使われることなく永い眠りに就く・ ・・という流れがデファクトスタンダードとなっていた。だが、本当にこれでいいのだろうか、という疑問が最近湧いてきた。CDを買ってアーティストの活動を応援する、という方針は確かにファン としては正しい。ただ、消費者として、購入直後の一度しか再生しない新品のCDに高いお金を払うという行動が経済的と言えるのか 、本当にそれで値段相応の効用を得られているのか、特に一昔前の ように自由にお金を使える身分ではない今、この習慣を続けることが果たして合理的で持続可能なのか・・・。また、CDをその都度再生して聴いた方が当然音質は良いが、気軽に聴けることが重要なので、 手間のかかるCDでの再生は自分にはなじまないし・・・。そんな ふうに自問するようになっていた。


この問題について、上記のアルバム購入から1ヶ月半ほど考えてみた結果、自分は「今後は新品の音楽CDは原則買わない」という方 針を決めるに至った。確かにファンとして、これからもアーティストの新曲が出たらそれを追いかけていきたいし、 音楽ファイルは手元に欲しい。だが、新曲を入手する手段を、「 CDを新品で購入する」という方法一択に限定することは、経済的負担が非常に大きく、「好きな音楽を楽しむ」という一番大事な目的の持続性を損なう可能性がある。だから、音楽の入手手段としては、新品CDは買わず、レンタルCDの流通や、 中古CDの値下がりを待ってから、それらを利用・ 購入するという方法を今後は採用することにした。これにより、 財政的な制約の中で、費用負担を削減しつつも、引き続き音楽の楽しみを享受できるだろう。個人的なデメリットは、 新曲の入手が少し遅れることだが、1~2ヶ月程度は瞬きしている間に過ぎ去る今日この頃なので、それは大した問題ではない。CDの保管スペースもこれ以上必要なくなるから、支出、所有物の両面でのリストラにつながる。


唯一問題があるとすれば、それはCD購入以外の方法で、アーティストを金銭的にどうやって応援するかということだ。これについて は、今は難しいものの、長期的には2年に一度程度、ライブやコンサートに行くことが最大の応援になると思う。チケット代と交通費 を考えるとあまり節約にはならないかもしれないが、 得られる効用が非常に高いことは間違いない。いずれ実現したい夢の一つとして、心に留めておきたい。なお、今所有しているCD・ DVD類は当面このまま所有し続けるが、墓場に行く直前まで持っていたいものと、そうでもないものの取捨選択は、また近いうちに行うつもりでいる。


そういう訳で、11月27日発売の坂本真綾のアルバム「今日だけの音楽」を聴けるのは、当分先のことになりそうだ。気になってモヤモヤする感覚をむしろ大事にして、発売から約3週間後のレンタルCDの流通を待ちたいと思う。

 

今日だけの音楽(通常盤)

今日だけの音楽(通常盤)

 

 

(40分)

 

ディーラーとの決別

昨日はアクセラマツダのディーラーに持ち込み、修理をしてもらった。オイル漏れを起こしていた左リアショックアブソーバという部品、いわゆるダンパーを交換する作業で、この修理によって左後輪付近から生じていた走行中の異音が解消した。この現象は3週間ほど前から目立つようになっていたもので、走行中、マンホールのフタのくぼみやちょっとした段差を踏む度に、「ガタン!」「バコン!」と非常に騒々しい音が車内に響き渡ってストレスを感じていた。その騒音が耳に染みつくぐらいに頻繁でほとほと参っていたものだから、修理後に家に帰る途上で、異音が一切しなくなったのを確かめたときにはちょっとした感動を覚えたのだった。

 

 

ダンパーの破損は老朽化が原因だったが、この修理は安全性と快適性の両面から必須のものだったと思うし、2万円弱の費用を払うに足る結果が得られたと思って納得している。だが問題なのは、異音の原因がダンパーのオイル漏れだと突き止めたのがディーラーではなく自分自身だったということだ。「異音がする」「駐車場に油溜まりができている」という2点を訴えて最初にディーラーに修理に持ち込んだのは2週間前だった。そのときは、自分が「(ダンパーではなく)『リアバンパー』ががたついているのではないか」と主張したせいもあって、点検してもらった結果は「異常なし」とされ、「バンパーの経年劣化だから仕方ない」という説明を受けた。しかし異音は相変わらず邪魔だし、油漏れの原因は不明だから自分としてはどうしても納得いかなかった。その数日後、冬タイヤに換装したついでに左後輪のタイヤボックスをのぞき込んだときに、偶然ダンパーが油でにじんでいるのに気付き、これが異音と油漏れの原因ではないかと考えて、すぐに再びディーラーへ持ち込んだ。すると今度は自分の主張通り「ダンパーの油漏れ」と診断され、部品の取り寄せを経て、昨日の交換・修理に至ったのだった。

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↑油漏れを起こしていた左後輪のダンパー(写真中央の軸)

 

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↑アパートの駐車場にできた油溜まり



最初に点検してもらった2週間前の時点で、「左後輪」と訴えていたにもかかわらず油漏れの原因を特定できず、後から素人の自分に言われてようやく気づいたディーラーの(エンジニアの)対応のお粗末さ。これに今回という今回は、自分もあきれ果ててしまった。ディーラーの仕事ぶりが信頼できないということと、後部座席スライドドアのファミリー向けの新車を作っていないこと、この2点から、自分は次に買い換える車はマツダ車以外にすることを決心するに至った。具体的な車種は未定だが、少なくともマツダ車をマツダのディーラーから買うことはない。これまで10年間お世話になったし、営業担当者の人柄は個人的には好きだが、商売相手としてはもうこれ以上のお付き合いはお断りだ。来春5月頃の納車を目指して、これから次の車選びに動き出したい。

(40分)