山菜採り:2019/5/18

今朝、というか、つい今しがた、実家の近くの山で山菜採りをしてきた。同僚のおじさんと2人で朝5時に待ち合わせをして行ったのだが、当初の目的地だった山の奥のほうの場所が冬季通行止めで行けなかったので、急きょ別の場所に変更。ワラビやウドの芽を採取した。雪解け直後を狙っていた当初の場所より標高が低く、時期的に遅いのであまり採れなかったのだが、それでも夕飯1回分のおかずにするには足りるくらいは採れた。帰りに実家に寄って山菜を預け、家族に調理を依頼。夕方にはウドの芽が天ぷらに化けているだろうから、また受け取りに行くつもりでいる。当初の当てが外れてお目当ての山菜を採り損ねたおじさんには申し訳なかったが、お互いまた来年のリベンジを誓ったので、次回はもっと大漁を目指したいと思う。もちろん、全て採らずに他の人のために残しておく、というルールは守った上での話なのは言うまでもない。


f:id:ryuck99:20190518065542j:image

(10分)

年休取得義務化(達成)

労働基準法の改正に伴い、2019年4月から、年間5日以上の年次有給休暇(年休)の取得が義務化された。対象は「法定の年次有給休暇付与日数が10日以上の全ての労働者」となっていて、基本的には常勤で1年以上働いている人は全員これに該当すると考えて間違いはないだろう。当然自分も該当するし、自分の職場でも「年休を5日以上取ること」「年休取得計画表を作成・提出すること」を求められている。

 

www.mhlw.go.jp

 

自分も計画表を作ったし、6月までに5日分取得する予定だったのだが、予定より早く今日の時点でこの目標を達成することができた。その理由は、子供の発熱で今日の午後から半日休を取ったため。自分はこれにより、年休が付与される1月から起算して、1日休と半日休の通算の取得日数が5日に達した。実は同様の理由で、昨日も午前半日取得しており、大型連休前最終日も午後休を取ったほか、4月中にも複数回年休を取っていたので、4月からの1ヶ月で瞬く間に消化したというのが実情である。時間休も通算1日分取得しているが、1時間単位の時間休は労基法に規定がなく、個別の労使協定で定めることで認められるものなので、「年5日」の対象外だ。そもそも時間休は、労働者に十分な休養を取らせ、ゆとりを持った生活ができるようにするという有給休暇の趣旨にそぐわないため、年間5日分までに制限されている。そういうわけで、制度開始早々、自分はノルマ(という言い方も、法の趣旨にそぐわないが)を達成したし、今後も子供の急病でガンガン消化することになると思う。今までずっと年休を消化できずに、繰り越せない分を無駄にしてきたので、理由はどうあれ消化できるのは非常にいいことだと感じている。子供の発熱は偶発的かつ不可避なものだし、幸い大事にも至っていない。ただし、休んだ分の仕事のしわ寄せは当然生じるので(今は事実上後回しでやりすごしているだけ)、今後、担当業務に習熟して、どれだけ能率を上げていけるかが問われることになるだろう。労働時間の長さではなく、扱った仕事の量や成果に基づく労働密度の高さで評価する考え方を定着させる契機になれば、真の意味で働き方改革にも資するというものだろう。ただし、職員の半数が50代という今の職場の状態を鑑みて、そうした考え方に転換していく可能性は万に一つもなさそうなのが残念なところだ。

 

(30分)

 

 

<2019/05/10追記>

もっとも、年5日が義務化されるのは、改正法の施行以降に最初に年10日以上の年次有給休暇を付与する日(基準日)からなので、基準日が1月1日である自分の場合は、厳密には来年1月以降に改正法の対象となると思われる。とはいえ、少なくとも今年中はもうこのことを意識しなくてよいという意味では、ノルマ達成と捉えてよいだろう。

プライバシーの消失

自分には妻に対してプライバシーを主張する権利がない、といったら驚かれるだろうか。自分の個人情報・・・日記、手帳、写真、人間関係等は、全て妻のチェック対象となっており、ケータイやスマホの中身も、妻が好きなときに自由に閲覧できる状態に保たれているのである。スマホは画面ロックをかけてあるが、自分の手元にあるときは自動で解除される特殊な設定になっており、家にいるときはその状態から妻が勝手に閲覧できるという訳だ。このブログも、妻のスマホチェックの際に「はてなブログ」のアプリを操作されたことをきっかけに、随分と前から妻の知るところとなっている。これらを妻に見せることを拒むのは、実態はどうあれ、外形として、見られて困るような何かがある、ということを意味することになってしまう。だから、いかなる場合でも抵抗は厳禁である。妻と一緒にいるときにケータイ、スマホを理由もなく操作することも、何か秘密でもあるのかとイメージさせる恐れがあるほか、家族と過ごすよりスマホいじりのほうが大事なのかという誤解を招く懸念もあるため、同様に厳禁であり、特にアパートでは基本的にスマホは使わないことにしている。

 

 

つまり、自分は妻に対して一切の秘密は持てないし、秘密が必要になるような状況、説明のつかないはそもそも作ってはならない状況下に置かれているのである。一方で、妻のプライバシー権は厳重に確保されており、自分が妻のスマホをいじるなどということは言語道断とされている。また、妻が自分と一緒にいるときにスマホをいじることは何ら問題とはならないし、言動から察するに某無料マンガアプリを相当長時間利用しているようだが、仮にそれを指摘したところで妻の不興を買う以外の効果はない。

 

 

一見すると理不尽にも思えるかもしれないし、人によっては「夫にも人権を!」と抵抗したくなることがあるかもしれない。だが自分は、この状況に対して不満はない。もちろん、何でもかんでも見られるのは、決して自らすすんで作った状況ではないし、勘違いで誤解されることもあるから「はい喜んで!」という気分ではないことがあるのも事実だが、それを憤慨することは決してない。なぜなら、昔から「お天道様が見ている」と思って、ここにいない第三者を意識して行動をしてきたし、記録も誰かに読まれることをある程度想定して作ってきたからだ。その行動原則に沿っている限り、「誰にも知られてはならない」という後ろめたい感情を伴う行動は起きることはない。だから、仮に妻以外の誰かが同じように自分の個人情報をのぞいてきたとしても、多少の恥ずかしさこそあれど、秘匿しなければならないようなことはまずないと言える。だからこそ、このブログに赤裸々に、かつ堂々と、これまで様々なことを書き残すことができたのだ。こういう考え方が、自分の人生を貫く軸としてこれまで積み重ねられ、継続されてきたということは、自分にとって一つの財産といっても過言ではないだろう。

 

 

とはいえ、おそらくどこの家庭も、状況としては似たようなものなのではないだろうか。そして、そこで中途半端に秘密を作ろうとしたりするから、色んなトラブルに発展するのではないだろうか。妻をお天道様だと思っていれば、隠そうとすることの無意味さ、不可能さは容易に理解できると思うのだが。世の中の旦那さんたちが、プライバシーを消失することによるある種の「心の自由」を享受できるようになって欲しいと、勝手ながら願っている。

 

(50分)

値千金

昨日まで、二泊三日で妻の実家に滞在してきた。その間、妻の実家の家族と一緒に買い物に行ったり、子供と遊んだり、みんなで外食に行ったりして過ごした。子供が生まれて以降、妻の実家の家族とは、自分の実家の家族よりよっぽど長く一緒に過ごしている。だから、自分も特段、言葉や行動に気を遣ったりはしていないし、逆にお客さん的におもてなしされて気を遣われたりする心配もないので、滞在中も普段通りリラックスして過ごしていた。1日が子供中心のスケジュールという意味でも、アパートで過ごす休日とあまり変わらなかった。

 

それからしてみれば、今日は打って変わって、非常に特別な休日だった。妻と子供を実家に残して、昨夜のうちに自分だけ一足早くアパートに帰宅したため、今日は丸1日フリーに使えたからだ。しかも、のど風邪はほぼ完治したので、体調もかなりいい。こんな休日は、年に1回あるかないかの非常に貴重な存在であり、自分にとっては10万円くらいの価値がある。一時も無駄にしてはなるまいと思って、数日前から頭の中にTO DOリストを作っていたこともあり、今日は朝早くからテキパキとあちこち動き回った。一つ一つは説明しないが、結果的に、大小合わせて十数件の用事を済ませることができ、満足いく1日を過ごせた。妻と妻の実家の家族には感謝しているし、明日からまた家事に育児に頑張ろうという前向きさもチャージできたので、非常によかったと思う。

 

 

おそらく、妻にとっても同じように、こうした休日は必要なのではないだろうか。お互いに年に何日か、夫婦の片方が家事育児を全部受け持つことで、相手にフリーの休日をプレゼントしてみるというのも、夫婦関係を円滑にするために重要なのではないかと、今日の経験から感じている。受け持つほうは大変ではあるが、メリハリをつけることのメリットは、一時的な負担を上回る効果を持つと思われる。自分としては、妻がリフレッシュしてご機嫌で帰ってきてくれるなら、それくらいの負担は全然苦にならないし、そもそも普段からしているので負担とも感じない。明日、妻が帰ってきたら、様子を見つつこのプランを慎重に提案してみようと思う。

 

(30分)

平成とネット

4月1日に新元号が発表されてからというもの、「平成最後の~」とか、「祝令和~」みたいなフレーズを新聞やテレビ、広告の類いでやたらと目にするが、それとは対照的に、自分の周りでは改元にまつわる話をしている人は全くといっていいほど見かけない。たぶん、みんな毎日の仕事や生活のことでいっぱいいっぱいで、書類の年号表記くらいでしか直接関係なさそうな改元という出来事にしみじみと思いを至すような余裕がないのだろうと思う。自分はというと、余裕がないのはいつものことながら、かといって改元に無関心な訳でもないのだが、育児をしていると毎日が非日常であり、家庭は戦場なので、昨日おとといのことさえ記憶がない。したがって「1日1日が新世紀」みたいな感覚で生きているので、数十年スパンという長すぎる区切りに頭がついていかないという、ただそれだけのことである。改元という画期自体にはあまり実感や意味を感じないが、それでも天皇の代替わりという面においては、大いに関心を抱いてきたし、日本と日本国民統合の象徴という役割を模索しながら体現してきた現在の天皇陛下には、深い尊敬と親しみの念を感じて止まない。

 

 

さて、今夜は、昨日放送された「NHKスペシャル 平成史(8)情報革命 ふたりの軌跡~ネットは何を変えたか」という番組を見た。この中でスポットを当てられた人物は、ヤフーを日本一のインターネットサービスに押し上げた井上雅博氏と、画期的なファイル共有ソフトウィニーを開発した金子勇氏の二人。井上氏のことは名前を聞いたことがあるくらいだったが、金子氏は開発したソフトが著作権法違反幇助の疑いで逮捕されたことなどをある程度知っていたので、すでに両氏とも死去していたと知ってショックを受けた。しかも金子氏の死去は、最高裁で無罪判決が確定してまもなくのことだったと知り、二重に衝撃的だった。番組を見ていて、またネットの発展とともに歩んできた自分の人生と重ね合わせて、平成という時代はネット抜きには語れないと強く実感した。社会や産業の構造や、人々の生活スタイル、ものの考え方・・・ありとあらゆるものが、ネットが当たり前に存在し、いつでも誰でもアクセスできるという前提で動いている。こんな世界を、30年前に具体的に想定していたのは、攻殻機動隊を描いた士郎正宗くらいなものだろう。しかも、攻殻ではSFとして描かれていたネット社会は、今や日常となって久しい。ネットという「概念」を、正しいか誤解しているかはさておき、誰もが認知しているということ自体が、驚くべきことだとつくづく思う。誰もが世界中のあらゆる情報にアクセスでき、個人個人が世界に向けて情報の発信者になれるというのは、従来の仕組みや考え方を根底からひっくり返す革命的な出来事だった。この変化は不可逆的だし、この便利さは決して手放せるものではない。だからこそ、ネットという技術を本当に人類の進歩のために活かせるかどうか、より高度な文明を築くために使いこなせるかどうかということが、これからより一層試されることになるのだと思う。人々がネットを、単なる即物的な娯楽や、暇つぶしや、虚偽の情報の流布のための道具として使うに過ぎないのか、それとも、知の結集や、SOSの素早く正確な伝達や、社会問題の克服のために活かすのか。ネットがこれだけ巨大な存在となり、社会にも個人にも不可欠な存在となった中で、「何のためにネットを使うのか」という個人の意思と知恵と良識こそが、ネットリテラシーの核心として本質的な意味を持ち、これからの社会の行く末を決めるカギとなるのではないかと自分は思っている。ネット社会が、令和時代に光をもたらすものであって欲しいと願って止まない。

 

 

そんな自分が明日~明後日の改元のタイミングにどこで何をしているかというと、おそらく妻の実家で寝ていることだろう。時代はどうあれ、自分はただ、家庭の平和を最優先に奮闘するのみだ。

 

(90分)

 

怒濤の1ヶ月

ご多分に漏れず自分も今日から大型連休に突入した。カレンダー通りに10連休である。異動前の担当業務では、4~6月が仕事のピークだったので、大型連休中も自主出勤していることがままあったが、今の業務ではそういう必要はなさそうなので、一旦仕事のことは全部忘れて休みに専念できそうだ。

 

 

4月1日に部署異動してからの1ヶ月は、振り返ってみるとすさまじいものだった。

 

 

第一に、激務だった。年度末の伝票処理の締め切りが4月11日に設定されていて、それまでに前年度分の伝票を残らず起案・決裁しないといけないと言われたので、やり方の具体的な説明もないまま、財務会計システムでデータ入力や伝票出力、確定処理などの作業を手探りで覚えながらやることになった。会計の基本ルールや処理の流れがまだよく分からないので、当然ながら1つ1つの処理に時間がかかるし、起案した伝票の細かいミスをほかの人のチェックで指摘されて差し戻し修正するケースも非常に多かった。狭い机の上に支払いのための書類が積み上がって、どれがどこにあるのか探すのも大変な、まさにてんてこまいの状態。そのため、締め切り週には、子供の風呂のために定時後1~2時間ほど一時帰宅してから、職場に戻り24時過ぎまで残業をするという過酷な日々を丸一週間続けることになり、心身ともに相当なダメージを受けた。このときに猛烈に仕事をした結果、色々なパターン別の処理の流れが頭にたたき込まれて、促成栽培的に業務の知識も身についたことから、幸いにも今は仕事も割と落ち着いてできているし、19時には退勤できるようになった。ただ、年度替わりで異動する弊害のお手本のような悪夢を味わわされ、ぶつけようのない不満や怒りを今も心の中にため込んでいる。

 

 

第二に、体調を崩した。上記の過重労働も影響しているだろうが、子供が保育園でもらってくる色々な菌やウイルスを浴びているせいで、風邪のような症状が頻繁に出て、常に具合が悪く、「元気だ!」と実感することがなくなってしまった。今週に入ってからも咳が出るようになり、今日は午前中内科を受診するつもりだ。連休中にこんな状態で過ごしたくないので、仕事を離れられるこの機会に、何とか体力の回復も図りたいと思っている。

 

 

第三に、家庭も大変だった。これも上記の長時間労働のせいだ。家庭をおろそかにしたせいで、妻のストレスゲージも一気に上がった。幸いこれも改善し、連休を前に平和を取り戻すことができたが、本当に大変な局面だった。

 

 

以上のことから、長時間労働は百害あって一利なしだと言える。政府が盛んに喧伝する「働き方改革」というのは、早く帰るのが一番、という意味では全くなく、生産性を高めて働く時間当たりの仕事の質を上げよう、という意味だ。連休中も、時間を見つけて仕事の勉強をしたり、本を読んだりして、5月以降もちゃんと常識的な時間に帰宅できるようにするための努力を怠らないようにしたいと思う。

 

(30分)

すくすく子育て

今日、自分の中で最も衝撃だった出来事。それは、NHKの「すくすく子育て」のエンディング曲に、化物語の「恋愛サーキュレーション」が使われているのを見たこと。4月から番組がリニューアルしたタイミングで導入されたようだ。まさか、よりにもよってこのアニソンがなぜここで⁉とザワついたが、巧妙につなぎ合わされた歌詞だけ見ると、子どもと親の視点にこじつけられないこともない。「ちりもつもればやまとなでしこ? 「し」抜きで いや 死ぬ気で!」みたいなフレーズはカットされているから、知らない人が聞いたら何の違和感もないだろう。さすが天下のNHKだ。恐れいった。もちろん、番組の中身自体が役に立つのは言わずもがな。これからも色んな意味で楽しみにしている。

 

(10分)

 

2019/4/26追記:後日、別の回の放送を見て、オープニングでも恋愛サーキュレーションがBGMとして流れていることに気づいた。音量小さめながら「ちりもつもれば~死ぬ気で!」のフレーズも流れていて脱帽した。